2011年12月27日火曜日
アマルティア セン
2011年12月24日土曜日
考えるあるいはめい想する ことの方法を詳しくしりたい
お腹の調子が悪い。読書をしようと思う。 ビックリインド人の頭の中はまだよめていない 存在しないものについては語れない。 知覚されないものについては語れない。 と書いてある。 前回の平行線のブログは その考え方に基づいて自分で考え方をためした一例である。
今日買った本。正義のアイデア。アマルティア、セン著 池本幸生訳。 世界を理解することは、単に我々が直接感じ取ったことを記録することではない。理解するということは、不可避的に推論を伴っている。我々は、感じたことやみたことを読みとく必要があり そのような感覚が何を意味しているのか どうすれば 圧倒されずに それを考慮することができるかを問わなければならない。 この作者はインドで生まれているノーベル賞も受賞している。インド人の考え方をそのまま引き継いでいるかもしれない。ゆっくり読もうと思う。難しそうだけれど。
もう一冊 数学者の哲学 哲学者の数学 数と無限 の項 自然数から整数を作り整数から有理数を作り 有理数から実数を作るという その理論的なプロセスをみると非常に自然に作り上げられていくわけですね。 、、、実際には自然数だって全部見渡すことはできません。
こちらの本は 日本人の数学者と哲学者の対談集である。 存在しないものについて語るのか語らないのか ようく見てみたい。しかしことばが難しいので最後までよめるかわからない。
2011年12月18日日曜日
平行線の続き
2011年12月11日日曜日
2011年11月17日木曜日
平行線
2011年9月24日土曜日
ニュートリノ 光速越え?
今回の事件は 異次元などと五感以外で感じられないものを説明に使うな と いう警鐘なのか。もっと普通に考えろということか。
2011年9月22日木曜日
新たな勉強
2011年7月30日土曜日
放射線の教育
2011年7月12日火曜日
新たな疑問
考えても考えきれないこと けいじじょうがく は 考えることはない。 考えきいれないこと判断するのはだれか。 欲によって考えることが生じる すべて考えきったらどうなるのだろう。 欲がなくなったらどうなるのだろう。 そういうあり得ないことは考える必要はないのだろう。
2011年5月10日火曜日
日光に初めて行って感じたこと
日光を観光バスで回った。最初に中禅寺でお坊さんの上手なお勧めがあり、有機系の温度などによって変わる発色剤の入ったお守りを2千円でかう。
ほかの方もたくさん買った。 その後日光山輪王寺でお坊さんのお勧めがあり そこにしかない鬼門除け札を数千円で買って欲しいと。
そこでは、観光バスのお客のなかで1人だけ買ったようだ。 みなさんは、霊感商法だと気づいたようだ。 その後東照宮へいった。生まれ年の十二支に見合った仏さんがある。
それをお守りに買ってはどうかとのお坊さん?のお勧めがあった。 もう誰も買わなかった。
日本式仏教の終末のなごりを見る思いがした。 政治と仏教が完全に結びついてしまった。土着の信仰、神さん、儒教、陰陽すべてがごった煮になった時代。
祈り、願い、御利益が混ざった時代。 支配する武士、支配する仕組み宗門、檀家、坊主の退廃、お金、欲 それらが目に見える形で
"日光"が存在している。 幕末から明治初期にかけて 国学、新しい神道 廃仏毀釈 その後に残った新しい寺と神社、氏子と檀家、戦争まで突っ走った。
その後に形を変えた 葬式仏教、御利益、霊感商法の寺や神社。 お守りを売りつけられると、哀れになってきた。
世界遺産を維持するために お守りを売り続けている 坊さんや神社の従業員がいる。
2011年4月16日土曜日
大事なところ
とはいってもスッタニパータでは涅槃の境地は秤などで量って目で確かめられるものではないとも述べています
・・・ ではまったく知る術はないのでしょう か
すでに涅槃に達した人の教えにしたがえば、つまり一切の亡執を断てば涅槃の境地に入れるといわれる このおしえを 実行すれば、誰でも涅槃を得ることができると長老も説いたのです。
わからないことを 勝手に正しいと言い出した長老が大乗仏教の言い出しっぺと言うことになります 論理の飛躍があるのです
そこが宗教としての仏教の始まりといえます。
と 私は今考えています。
誰かコメントをください
大乗仏教への分かれ目
蛇の章の解釈の仕方が異なる
2011年4月13日水曜日
震災と原発事故にたいして
何か発言してください。 黙って祈っていても何も伝わらない気がします。
くるんでいる方の話を聞くなら現地に行かないとだめだと思います。
テレビを見ていると、避難所に仏さんはなく、数珠を持った人もいない。
現実の苦痛にたいし、祈るより、考えて行動することが大切かも。
石川遼ちゃんはよい。
2011年4月10日日曜日
2011年4月8日金曜日
インドには祖先崇拝がない
先祖崇拝ということは インドにはほとんどなく、しかし中国では古くから行われていました。
中国で作られたお経もある 盂蘭盆経
仁王経 鎮護国家の思想がはいる
大乗仏教 どの部派とも直接関係のないところから生まれてきたのだろう
2011年3月30日水曜日
大乗の仏道 東本願寺出版部
わかる仏教史 宮元啓一 著
2011年3月19日土曜日
ブッダのかいた物がない
文字で考え抜くことを表してしまうと困っている事の現実から離れてしまう。観念だけが先走ってしまう。
そいうことをおそれたのではないだろうか。
考え抜くのは具体的で 春か彼方まで一般化し また具体的なところに戻ってきて 答えを出したのではないだろうか
写真は桂川 堤防 本日 今。
2011年3月17日木曜日
2011年3月8日火曜日
私の考え メモ
ブッダが考えたこと
肥大化した”全知”と肥大化した”慈悲”が出会うとき という章の中で
オウム真理教の”ポア思想”なる殺人肯定論の原型とういう 段落がある。
日本の大乗仏教がなぜ正面きってオウム真理教を批判できなかったかが分かった気がする。