2013年6月3日月曜日

仏教のおこり 私の想像

AさんはM村で評判のBさんのところに行って、Aさん自身の悩みを聞いてもらった。 大変満足し、帰ってきてCさんにそのことを話した。 CさんもBさんのところに行った。Cさん自身の悩みを聞いてもらった。大変満足し、帰ってきてDさんにそのことを話した。DさんもBさんのところに行った。Dさん自身の悩みを聞いてもらった。大変満足し、帰ってきてEさんにそのことを話した。 たくさんの人がBさんのところに行って 自身の悩みを聞いてもらった。大変満足し、帰ってきてたくさんの人にそのことを話した。 Bがあるとき亡くなってしまった。AさんもCさんもDさんもEさんも たくさんの人々が嘆き悲しんだ。 Aさん、Cさん、Dさん、Eさんが集まって悩みのある人の話を聞いていた。みなさん満足していた。しかし、Aさん、Cさんがなくなり、Dさん、Eさんはみんなの悩みをきく自信がなくなってきた。記憶をたどり、Bさんが話していたことを、書きとどめた。AさんとCさんの言っていたこともDさんとEさんは書きとどめた。 書きとどめたものを頼りにDさんとEさんは 人々のなやみを聞き続けた。 Fさん、Gさん、HさんはDさん、Eさんの記憶と、Dさん、Eさんの書きとどめたX文をたよりに人々の悩みを聞き続けた。人々の悩みを書き綴ったY文もあらたにFさん、Gさんによって書き記された。DさんもEさんも亡くなった。 M村の評判はN村やO村に広まった。HさんはX文とY文をたよりにN村で人々の悩みを聞き始めた。IさんはX文とY文をたよりにO村で人々の悩みを聞き始めた。 しかし、N村でもO村でも 悩みを聞いてもらっていた人々の中に満足しない人が出てきた。HさんとIさんはなぜそうなるのかをZ集会場で集まって相談をした。M村とN村とO村では話したり書いたりしている言葉が微妙に違うことがわかった。 HさんとIさんはX文、Y文をもとにZ集会場で一生懸命勉強した。弟子も取った。 しかし、勉強ばかりで 人々の悩みを聞く機会がだんだんと減ってきた。 HさんとIさんはなくなり、弟子のJさん、Kさんがさらに勉強を続けた。 Z集会場には全く人々が集まらなくなった。 あるときLさんがZ集会場にやってきた。もうすでにHさんもIさんもJさんもKさんもいなくなっていた。LさんはX文とY文をもとに考えに考え抜いた。そしてW文を表した。 それは大変難解だった。Bさんは話を聞くだけだったのに 人々にこうしなさい、見えないものでも見えるようになると言うような信じる事ができないと理解できないものだった。 しかし、信じれば結果がよいので、W文は 次第に一つの国だけで亡く世界中に広まっていった。 

   仏教のおこりはこんなものかな? 

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