70ページ 親鸞聖人は 自然法爾の事 の中で阿弥陀仏の本質を、人格を持つブッダというよりは、この因果法則=ブッダの悟りそのものとみているようです。その内容を、まず原文でみてみましょう。
、、、、、、、、 現代語にして、見てみましょう。 無上仏というのは、姿形もないものです。姿形もないから、自然(じねん=因果法則)というのです。姿形があるものとして示すときには、無上涅槃とはいいません。姿形もないあり方を知らせようとして、はじめて、阿弥陀仏というのだと 法然上人から 聞き習ってきました。阿弥陀仏とは、自然(じねん=因果法則) の あり方を知らせるための料(方便)なのです。
親鸞聖人の考えた ブッダと阿弥陀仏について明確に書いてあります。
わかったような気がします。 阿弥陀仏、真理、神、が同じものだと思えてきます。 人間が本当に知りたいことだと思います。 ブッダは真理がわかった、最初で最後のひと。なのか。
しかし、ブッダは真理があると言ったのかどうかわからない。 真理を求める方法についてはたくさん言っているが。
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