2016年8月27日土曜日

障害者施設殺人事件の考察 2

本日の京都新聞に 周囲に理解されず手紙 相模原殺傷 容疑者の責任能力調査  の 記事あり。
     捜査関係者によると 植松容疑者は
「抹殺することが救済だと周囲に説明しても、分かってもらえなかったから」 「自分の考えに賛同す人は多いはず」 「何で分らないのだろうと思った」 と不満そうに話している。
    こうした主張に固執する容疑者の精神状態について捜査。横浜地検は責任能力の有無を判断するため、鑑定留置を請求するとみられる。

 記事からは誰を抹殺し 何を何から救済する と 容疑者が主張しているのか わからない。
   障害者を抹殺し 障害者とその家族の苦しみ、障害者に税金を投入していて損と感じているひとびとの苦しみ から 救済する こと なのだろうか。  もし  容疑者が 人を殺すことで殺された人を救うという 考えを 持っているなら  恐ろしいことだ。
   人を殺すことで 殺された人を救う という  考えは  よく聞いたことではないだろうか。地下鉄のサリン事件をポアと言ったオウム真理教、     中国人を殺し西欧列強にしいたげられた中国人を救済しようと考えた 日本の仏教各宗派、日本軍 。
 
  日本に伝わった大乗仏教にその考えを生み出す原因があるのか。
  ブッダの教えの中からその考えを生み出す原因があるのか。
 ブッダの教えをその考えに導いてしまうひとの考えが入り込んでしまったのか。
 もともと 人には そう考える人と考えない人がいるのか。
  なんらかの 病気や、薬物でそう考えてしまうのか。

 大多数の人は起きてほしくない事件だと思っているけれど、起きるかもしれないともおもっている。鑑定留置で病気だと片付けてほしくないとも思っている。 脳科学が発展して別の考え方が出てくるかもしれない。

  多様性を認めながらその時代に折り合いのつく結論がでるものと思っている。

 過去の反省をし過ちを繰り返さない とは どこかのひとが よく言っているが 難しいことだ。

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