2024年3月6日水曜日

人を分類すること

 と 書くと こいつは差別する人かと警戒する人がいるかも知れない。人は自分は何かを見つめるには分類も必要と私は思っている。分類学や博物学も存在する。番号をつけると脳の回路の一部が簡略化されて 更に別の脳を使うこともできる。将棋や囲碁で言うところの定石見たいもんだ。

さて まず単純に普段から思うこと その途中や真ん中があるが ややこしくなるので今回は省く。

1一人でさみしく思う人と 一人でいてもさみしいと思わない人

2近しい人がなくなって 1年以上経っても なくなった人のことをよく話す人と 殆ど話さない人。

3人を殺しては絶対に行けないと思っている人 と 理由があれば殺しても良いと思う人

4嘘をついてはいけないと思っている人 と 理由があれば嘘をついても良いと思う人

5自分が性同一性障害ではないと思っている人と 自分が性同一性障害だと思っている人

6修行により性欲をなくすことができると思っている人と 性欲はなくすることができないと思っている人


1−6の項目が互いに影響を及ぼすことがないとかんがえると 6項目あるので2の6乗で

64通りの分類ができるのである。

例えば 1一人でさみしく思い 2夫がなくなって2年経つがお父さんお父さんが と 口に出し、3死刑なんてありえないと 思い 4嘘をつかないから恨まれないと日頃思い 5わたしは身も心も女らしいと思い  6 男性への興味は死ぬまで続くだろうと  と 思っている人は 何人もいるのだ。  ちょっとした日常の思いの違いだけでも 64通りにも分けることができるのだ。 

そんなことを思うと分類するは悪くないし、人間はなんと多様で 色んな人がいるのだということがわかる。

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