とはいってもスッタニパータでは涅槃の境地は秤などで量って目で確かめられるものではないとも述べています
・・・ ではまったく知る術はないのでしょう か
すでに涅槃に達した人の教えにしたがえば、つまり一切の亡執を断てば涅槃の境地に入れるといわれる このおしえを 実行すれば、誰でも涅槃を得ることができると長老も説いたのです。
わからないことを 勝手に正しいと言い出した長老が大乗仏教の言い出しっぺと言うことになります 論理の飛躍があるのです
そこが宗教としての仏教の始まりといえます。
と 私は今考えています。
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