2020年7月30日木曜日

般若心経 風が吹けば桶屋がもうかる

 ピンとこないところ。ようわからない。
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切
顛倒夢想 究竟涅槃

得るところがないから 涅槃。  あっそうか。
誰も聞く人がいなくなった。研究し尽くしてしまったということが 涅槃という状態 。

2020年7月29日水曜日

般若心経 再考 私のメモ

1、目の前の事象 事象がある 事象が無い。
2、自分が気付く 気づく自分が 存在していること 存在しないこと
3 存在すること 存在しないこと 有る無しを判断すること
4    判断すること自体が 存在すること 存在しないこと 有る無しを判断すること
5   判断すること自体が 自分が 存在しないと 起こりえない。
6 自分が存在しているか 自分が存在していないかは 自分が存在しないと 判断できない。
7 自分が存在していないと 判断するという 行為は 行われない。
8  目の前の事象が ある 事象がない と 判断するのは 存在する自分である。

2020年7月27日月曜日

善悪の判断

判断しているのは 現在 生きている 人間だ。 生物は多様な発展をしてきたが 今見ていることが その結果なのだ。今見えているものは ほんの少しで大多数は 既に この大気圏の中には 存在しない。存在しているものに善の称号を与え 消えていったものに悪の称号を与えているだけなのではないか。 生物で今見えているものは 遺伝子、DNA、RNAをもっている。 宗教、思想、文化も見えているものはなんらかの継承の仕組みをもっている。

2020年7月19日日曜日

本 ダンマパダ 今枝由郎訳 

p111  237、238

あなたの生涯は終わりに近づいた。
あなたは、閻魔王のもとにおもむく。
あなたには、旅路で休む宿もなく
資糧もない。

それゆえに、自分を依どころとせよ。
励みつとめ、賢明であれ。
汚れを除き、罪と過ちがなければ、
あなたはふたたび輪廻することなく、
誕生と老いにおもくことはない。



ダンマパダの偈は迷いがなく断定的で厳しい。力強い。

2020年7月17日金曜日

本質について

中国共産党は 指導 が 社会主義の 本質 と 言っている。(信濃毎日新聞、人民日報)

 本質というのは人間が勝手に決めていることのように思える。数百年にわたりほとんどの人が 認めていることで 変わらない真実のこと。と 定義したところで 所詮 人間が 決めていることで それを定義する定義は何かと問われれば答えようがない。いつまで経ってもキリがつかない。えいやっと決める。色即是空 空即是色。の 論理思考だ。

 
ブッダ教えの本質を探ってみたい。
 1、後の仏伝でも判るように まずは バラモンの上に立ちたいということ。
2、自由に楽しく誰からも束縛されず生きたいということ。
3、2のこと自分以外の人もできるように 人間社会の仕組みを作ること。

2は簡単そうで難しい。 よくにとらわれると自由でなくなる。 たいがいのことは よくを捨てることができるが 性欲は捨てることが出来なかったのではなかろうか。欲が満たされて、なくなったように見えて 自然と湧き上がってくる。そんなものではないだろうか。そこで 性欲が湧き上がらない仕組みを考えた、サンガと律だ。 一方性欲がなくなると子供ができない。つまりサンガを構成する人がいなくなる。したがって教えが途絶えてしまう。だからサンガ以外の結婚して子供を提供する組織在家が必要となる。 そして2重構造の社会がつくられ維持される。 それが 仏教の本質だ。

般若心経の本質を探ってみたい。
 観音菩薩が本質を考えたとブッダが舎利子に伝えている。というのが般若心経の本質だが、般若心経ができた頃にブッタも舎利子もいない。だからブッダとは本質ではかかわらない、新しい 観音菩薩が考えた本質ととらえたほうが素直な考えだ。

日本の浄土教の本質についてかんがえてみたい。
 浄土真宗のお寺の絵や飾りが本質を表しているように思う。来迎図。とにかくお迎えに来てくれる。綺麗なところへ連れて行ってくれる。それが本質。 キューピットのようだが阿弥陀様や観音菩薩だ。

2020年7月15日水曜日

日本で人気の菩薩、如来 

勝手な解釈です。誹謗中傷をしているわけではありません。思考を過程を正直に書いているだけです。

暇というわけではないが 巣篭もりで写経をされる方が多いようだ。 お寺が写経の注文を聞いていたので 早速 薬師経と般若心経を送ってもらった。 般若心経は 近くの文房具屋でも追加で購入して使っている。 ほとけさん は 流行している。 特に3体、観音菩薩かんのんさん 薬師如来おやくしさん 阿弥陀仏あみださん 現代の日本で大変流行している。 それぞれいわれの書いたお経がある。 観音菩薩は般若心経 薬師如来は薬師経 阿弥陀仏は浄土三部経だ。 薬師経、浄土三部経は 浄土に行きたい願い、救われたい願い を ほとけさんが 代行してくれる と いうパターンで書かれている。宗教的だ。 一方 般若心経は願いの代行ではなく 観音菩薩が新しい救いの原理を発見して嬉しいと書いてある。学問的だ。

2020年7月13日月曜日

般若心経や空が なぜ 必要だったのでしょう。

エホバの神がいるのに キリストやムハンマドが必要だった。ブッダの教えがあるのに空、般若心経、観音菩薩、阿弥陀さんがなんで必要だったのでしょう。 もちろん、ブッダはバラモンがいるのに法を考えた。  人間の個体数がまし、人間の居住空間が大きくなっていることと 関係しているが 因果関係があるかどうかはわからない。

 般若心経にはその答えが書いてあるように見えるが 分かったようでわからん。

ブッダは 因果の法をといた。 無常や無我の概念 実体のないと言うことを 詳しく説明した。 実体と認識していたものを 色。 無常、無我と言う判断 変化すると言うこと を 法と呼んでいた。   しかし 般若心経では 観音菩薩という 概念を作り出した。 観音菩薩は 判断、法 そのものが 存在しないと言う 世界 空 を 言っている。  

  ここがよくわからない。法 以上の 空 と言う概念が なぜ必要だったのだろう。ブッダの法では不都合なことが 起きたのだだろうか?



2020年7月9日木曜日

本 日本医師会雑誌149巻4号


般若心経の色即是空空即是色 の 
「即」
観自在菩薩の
「観」
統計学は説明がていねいですが
お経は 漢文でちんぷんかんぷん。
犬は鼻がきく。猫は耳が聞く。
法隆寺にはサンスクリットの般若心経が有るそうな。Googleなどでは 瞑想がはやっているそうな。紀元前500年頃のブッダも瞑想をすすめていた。


2020年7月7日火曜日

ブッダの教えを単純化

観察された事象A
変化した事象B

AはBに変化する。Aに執着していると BになってしまったAを思うとつらい。

つらい思いをなくするにはどうしたらよいか。

1、Aを観察しない。
2、Aに執着することをやめる。
3、AがBに変化しないようにする。
4、Bを観察しない。
5、AはBに変化すること を観察しない。

1から5の中で 一番可能なことは2のAに執着することをやめることだ。

2020年7月2日木曜日

本 パーリ仏典入門 片山一良著 大法輪閣

お経の整理
この本は パーリ語の経典 ニカーヤを中心に書かれている。
ニカーヤはディーガニカーヤ マッジマニカーヤ サンユッタニカーヤ アングッタラニカーヤ グッダカニカーヤ に 分けられている。
 日本語では長部経典 中部経典 相応部経典 増支部経典 小部経典 
 
漢訳では
長阿含経 中阿含経 雑阿含経 増一阿含経 に分けられている。 この漢訳の中に小部経典はふくまれてはいない。

パーリ語も漢訳も 内容というより お経の長さで分けられている。 パーリ語は口に出して伝えていくもので 長さリズムが大切なのだと思う。 バラモン教の口伝と似ている。 漢訳は文字だ。口伝にくらべ変更しやすい。また権力者が利用しやすい。と 私の感想だ。

 有名なダンマパダ、スッタニパータは 小部経典グッダカニカーヤに出てくる。ジャータカも小部経典にでてくる。

お経はそのほかに無数の大乗仏教の経典、サンガの生活の規則がかかれてた 律蔵、経典を論じた論蔵 浄土真宗特有のおふみ手紙 など たくさんある。