2020年3月18日水曜日

本 最澄と天台の国宝 天台宗開宗1200年記念 2005年10月8日発行 

京都国立博物館で開かれた展示 の 図録 
p275 赤尾栄慶 さん の 記述です。
具足戒と大乗戒について 最澄、円仁の とった振る舞いについて 書かれている。とても貴重だ。

2020年3月17日火曜日

具足戒と大乗戒との矛盾 

大乗戒を採用している日本仏教にとって その 矛盾を隠し続ける必要があった。
しかし 結果的に浄土真宗や曹洞宗などが 現在につづいてる。 それでよいか 悪いかは わからない。 

現代の日本に 五台山 竹林寺 が 四国に

なんで 日本に 五台山竹林寺と言う名前のお寺が あるのだろう?

円仁の入唐求法巡礼行記には
竹林寺は天台宗の五台山には属さないと書いてある。円仁の弟子 唯曉と唯正が具足戒を受けた所が竹林寺だ。

五台山竹林寺は天台宗のお寺であると誰かが こじつけて名付けた様におもえる。

唐にあった竹林寺は五台山に属さない。

2020年3月14日土曜日

本 円仁 唐代中国への旅 エドウィンOライシャワー 著 田村完誓訳 講談社学術文庫

第八章中国における朝鮮人
この章は 円仁の書いた ”唐における朝鮮人の権利、役割について” かかれた箇所に 反応注目して ライシャワーさんの解釈が 書かれている。 日本大使ならではの 反応だと思った。

2020年3月13日金曜日

山東半島 楚州 揚州 このあたりをgoogle mapで見てみた。

唐の時代 円仁は 山東半島 楚州 揚州 あたりを 中国に着いた時も 日本に帰るときも 通っている。 朝鮮半島の 向いに 山東半島がある。 このあたりにはたくさんの朝鮮人が住んでいた。貿易商社があった。僧侶もたくさん活躍していた。 円仁の行き帰りの手はずを整えたのも朝鮮人のようだ。  このあたりを現代の google map street viewで見てみる。 寺 公園 運河 周恩来さんの記念碑もある。嵐山にも周恩来さんの記念碑があったような気がする。  すごい整備され どこもかしこも すごい 。日本の巨大な集合住宅群のような建物、都市、住宅、公園が 一体となったように見える。  一方向いの朝鮮半島をみると、人口は多そうだが なんとなく田舎っぽい。 全く雰囲気が違う。

2020年3月12日木曜日

メモ 新羅から高麗(Korea)と名前を変えた。

新羅は 633年百済を滅ぼし、668年高句麗を滅ぼした。
918年から933年の間に 高麗(Korea) と 名前をかえ 1910年日本の植民地になるまで 続いた。 P415 第八章中国における朝鮮人 円仁 唐代中国への旅 

本 円仁 唐代中国への旅 ライシャワー著 田村完誓 訳 講談社学術文庫

p395 第七章仏教弾圧
李の送別の辞  p396  しかし、きっと将来、諸仏の浄土において、私が今日そうであるように、再び貴僧の弟子となるでありましょう。 

と 書いてある。

その前には ダイヤモンド経金剛経を 円仁にプレゼントしている。

李は 密教であり 諸仏の浄土を 信じていた ことが わかる。

2020年3月11日水曜日

円仁が帰国の嘆願書を書き始めたのは

p391 円仁 唐代中国への旅 ライシャワー著
円仁は841年と845年の4年間に、彼自身、功徳使に百回以上も手紙を書き、故国に換えることを許されるように嘆願した。 

 円仁の弟子2人は具足戒を授かったのは840年、 840年に天台宗の文献を手に入れ、841年密教の文献を手に入れていた。その途中で仏教弾圧が起き始めている。 どこまで 密教の文献を手に入れたかはわからない。  弟子2人が具足戒を受けたことで かなり満足していた可能性がある。密教の経典や曼荼羅などは適当でよいと思ったかもしれない。 と わたしは思う。

p370 唐における仏教の実態 

供物をささげる行為が禁止され 僧が供物を受け取る行為が禁止された。 破ると罰せられた。
 僧がわいろを受け取り、私腹を肥やしていると みなされていたのだ。そのような仏教が 唐全土に広がっていたらしい。 仏教でもいろいろあるのだ。
円仁唐代中国への旅 講談社学術文庫 P370の 円仁の入唐求法巡礼行記 の 記述より。

戒律 戒 と 律 は 別物

訳がそうさせるのか 円仁が そう思っているのか わからないが
戒と律を一緒にまとめて扱っている。戒律として扱っている。
戒と律は 別物だ。
現代で言うならば
戒は憲法 律は条例 だ。
戒は仏教全体に適応される 数が限られる。
5戒 は 一番有名 5戒を守る人が仏教徒 守らない人が罰せられるわけではない
具足戒 は2番目に有名 サンガのメンバーになるためのもの 健康な人 親がサンガのメンバーになっても良いと言われたもの が 候補となり 更に複数のサンガのメンバーの承認が必要。 
サンガのメンバーになったあと 学習到達度別の戒がある。
大乗戒は戒ではない。 日本で具足戒の条件が揃わないので 日本の僧を 作るために作ったもの。 だから 大乗戒を授かったからと言ってサンガのメンバーになれるわけではない。
律 サンガにおけるローカルルールだ。サンガで作ることができる。サンガで維持して行くのに必要な規則が多い。お金の取り扱い、頂いたものの取り扱い 食べ物は重要だ。サンガのメンバーは労働はだめ、生産活動はだめ。殺したものを食べてもよいが 自分が殺してたべるのはだめ。 鉢や着る物の規則もある。 サンガ全体が所有する建物はあるが 個人が所有するものは鉢と布 裁縫道具ぐらい。頂いたものは ほとんどが一次所有でずっと持ち続けるわけではない。

2020年3月10日火曜日

本 円仁 唐代中国への旅 エドウィンOライシャワー著 田村完誓訳 講談社学術文庫

p 341 第7章仏教弾圧 韓愈の覚え書き
ライシャワーさんは たっぷり全文 韓愈の覚え書きを 引用している。
そこには 唐の仏教がどんなものだったのか はっきり書かれている。 韓愈から皇帝への仏教要注意 警告文章。  P342 英語はどう表現されているかわからないが   「このような事実にてらして考えますと、仏陀に仕えることには価値がないことがあきらかであります。」 仏陀に仕える と 韓愈は その時の仏教をとらえている。 キリスト教の 神に仕える、神のしもべという ことと 非常によく似ている。 始まったころのインドのブッダや仏教とは 違うものが中国の唐に あったということが言える。

宗教と奇蹟

キリスト教は奇蹟を見せることで 信者を獲得してきました。 現在でも奇蹟を信じている方も大変多い。 一方 円仁の入唐求法巡礼行記にも 天台宗や密教に関係した 奇蹟が詳細に感動的に書かれています。 訳されたライシャワーもその書かれた部分を感動的に訳しています。 多分 円仁と共感したのだと思います。   逆に天台宗や密教以外の仏教が陳腐に見えたのかもしれません。 と 私の感想です。

2020年3月9日月曜日

またメモ 全くの妄想かもしれないが。 なぜ比叡山からでた僧によって  浄土宗、浄土真宗がうまれたか

唐で天台宗が弾圧された理由 と よくに似た理由で 浄土宗と浄土真宗がうまれた。という私の妄想。


またメモ 唐の仏教弾圧から 日本を見てみた。

唐の天台宗の僧侶は経済的に潤いすぎた。そして弾圧を受けた。
日本の江戸時代 宗門改め、寺請け制度により 僧、寺が うるおいはじめた。蕪村は祇園などで遊ぶ坊主を目撃している。 江戸も末期 国学者らは檀家たちの不満に理解を示した。廃仏毀釈が起こった。 明治になると 明治政府は それを利用し 寺、僧の利権を奪い取った。利権のなくなった仏教界の宗教性だけを利用して 富国強兵 殖産興業 政策、その破綻、戦争へと 突き進んだ。 結局日本仏教は中国のようにほとんど仏教が壊滅されることなく 1945年まで 日本全体の宗教であり続けた。 と 私は思う。

2020年3月8日日曜日

仏教サンガと僧院、寺との大きな違い。

仏教サンガでは階級はない。比丘、預流、一来、不還、阿羅漢があるが これ軍隊のような階級ではなく、学習度合いなのだ。まして、ほかの人が見えるわけではなく 自分が自慢するものではない。自分が阿羅漢だと口にする人は阿羅漢でないのだ。僧院では衣の色が違う。紫は高貴なお方だ。

2020年3月7日土曜日

円仁の唐 私のメモ2 日本仏教の大きな分かれ目が 遣唐使廃止の時。 

円仁は日本では 最澄の天台宗

唐に行く  唐は 五台山を中心とした天台宗 竹林寺は五台山天台宗とは別の宗派インドの高僧が訪れている、惟暁 惟正が 具足戒を受けている。惟暁は後に唐で死亡。
唐の仏教は 天台宗(法華経を重んじる) が中心。 それ以前の仏教竹林寺の宗派(インドと関係が深い、100歳の具足戒ができる僧がいる)。 新興の真言密教。お経を軽んじる禅宗。

英訳したライシャワーさん。 円仁が最澄の天台宗だったことを知っている。 しかし、具足戒、得度、灌頂の 区別がつかない。 天台宗を カトリックと よく似た宗教と考えている。 ローマ教皇ほどではないが 唐王朝と天台宗の密着はかなりのもの。天台宗は王朝の仕組みと並行して階級社会。 天台宗そのものが階級組織で権威主義的 結構見せかけ重視。  のちに そのことが唐王朝に嫌われ 仏教弾圧となる。そのころ 惟暁が病死する。天台宗が滅ぶ、円仁は天台宗が滅ぶのをみながら 日本に帰る。 唐にいるときは 天台宗にぞっこん。
さらに、新興の真言密教も学ぶ。禅宗は粗悪でこの時は学んでいないかも。 

円仁は日本に帰って 唐の仏教すべてを持ち帰る予定だったが 天台宗と密教だけを持ち帰る。具足戒を受けた惟暁が病死したため 具足戒をできることが日本で不可能になった。その後は 日本で天台密教が 標準の 仏教となる。比叡山は意図的にそうしているのか 具足戒ができないので 仕方なく天台密教にしているのか どちらかは わからない。日本は中国やインドともう国交がないので、具足戒ができる僧侶を招くことができなくなっている。

また 当たり前のことですが

どの宗教も政治も 生きているものは死んでいく。生きている間に人にそれを伝える。ということが前提。
生きているうちにそれを伝えないと宗教は消滅します。政治も消滅します。生きているうちは多様性があってよいのですが、死んでしまうと多様性もありません。 
仏教用語では 因果 法 と 言いますが、ブッダでも変えられないと言っています。死ぬのが目的という宗教が中にはありますが 生きている間に人にそれを伝えたから 宗教として残っているのです。

2020年3月6日金曜日

圓仁の唐

大事なことをメモに。整理しておく。

現在の日本仏教に

比丘や比丘尼には おらず ほとんどの坊さんは沙弥か 在家 。仏教徒でない人もいるかもしれない。 しかし、日本仏教の僧は僧。聖も僧。

2020年3月5日木曜日

違う記述

中公文庫 入唐求法巡礼行記 巻第二 p365 
上段 巻第二 数十遠来沙弥  
下段 巻第三 数十人

いずれも 僧の固有名詞はないが 上段は遠くから来られた沙弥とある。えらい違いだ。

本 入唐求法巡礼行記 圓仁 深谷憲一訳 中公文庫

P347 4月24日。、、、、、両嶺普通院に着く。院主は不在で自分で食事を作って食べた。この院ではいまだかつてかゆや飯がでたためしはないという。近年のイナゴの災害でいま食料がないからである。

AD640年 唐 そんな時でも外国人が旅行できた。ゲストハウスもあった。

2020年3月4日水曜日

本の発行日

入唐求法巡礼行記1(全2巻) 東洋文庫157
 1970年2月28日 初版第1刷発行 校注者 塩入良道 発行者 関口秀紀 平凡社
入唐求法巡礼行記2     東洋文庫442
 1985年2月25日 初版第1刷発行 校注者 塩入良道 発行者 下中美都 平凡社

2巻の6pに
 十四日、夜、惟正・惟暁は数十(人)と共に白玉【戒】壇(上)に於いて具足戒を受く。

1巻の終わりp286
 廿五日、雨下る。、、、、、、、 五臺山を巡礼して供を送る人、僧尼、女人共に1百余人、同じく院に在って宿す。

日本に天台宗 密教 修験道 では 女人結界 と 言って 女性は 遠ざけられていた。 一方 マハーパジャーパティー 最初の比丘尼 ショバラニダシュ著 福田琢訳 法蔵館 を 読んでいただきたい。インドのサンガの考え方では 女性が差別される存在ではなかったことがよくわかる。 インドの阿含経 涅槃経 に アーナンダと世尊の話が書いてある。世尊は女性を差別してはいない。

 円仁は 1巻の終わりの 同じく院にあって宿す。(と 大変驚いたに違いない。)私は思った。 1巻はそこで終わっており 2巻のはじめに 具足戒のことが1行だけ 書かれている。 
 1巻と2巻の初版の発行が 15年 も 離れている。15年の間は不思議だ。

2020年3月3日火曜日

用語解説

日本では 戒律 を ひとまとめにして 考える傾向にある。
戒 とは 仏教信者に なるための 生活習慣
律 とは 仏教サンガを 維持するためのサンガの中での規則
具足戒 とは 仏教信者が 仏教サンガのメンバーになるための儀式または規則
仏教の出家者とは 仏教サンガに属している人
在家者は 仏教サンガに属していない人で仏教信者の人。 仏教信者でない人が在家者かどうかははっきりしない。

法律や憲法は仏教サンガに適用されない。現在の国家の治外法権とよく似ている。

以上より 仏教とは ヨーロッパ的な宗教では なく 人間社会の構造あるいは一つの形態 と 考えると わかりやすい。

2020年3月2日月曜日

本 入唐求法礼行記2 円仁 足立喜六訳注塩入良道補注 東洋文庫442 平凡社

P7
十四日、夜、惟正・惟暁は数十(人)と共に白玉【戒】壇(上)に於いて具足戒を受く。

こんなに重要なことが 1行しか 書かれていません。喜んだとか自分も参加したとか全く書かれていません。なにか変です。 

2020年3月1日日曜日

比叡山にも戒壇院がある。

私の妄想です。
外国の仏教からみると 日本の 大乗戒を授ける戒壇院とは 何ぞやということになるかもしれない。 比叡山はその利権をめぐって争い続けたのかもしれない。 死に物狂いで日本に具足戒を授けにやって来た鑑真たちの 僧に 申し訳ないことをしている。 円仁は 中国仏教に謝りにいき 本来の 仏教サンガを作ることができるように 唐に 渡ったのではないだろうか。