2013年6月4日火曜日

社会福祉法人 白川学園 の とりくみ

つくも 2013.5 No.552 
脇田 宣 著   四 ひなどり学園の再生 (五)制度改革への対応 より

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 それらは言うまでもなく、古くから現場職員が個々のレベルで担ってきたのであって、わざわざ特定の立場に責務を集中させては、福祉現場の仕事がどんどん分業化されていくような危惧を覚える。
他人が作成した支援計画に則って命じられた業務を機械的に遂行するだけではなく、本人や家族への総合的かつ多様な支援の実践、つまりはケースワークとしての仕事が、福祉現場の醍醐味であり、過酷な職場にあって唯一の”やりがい”になると言って過言でない。 単調で創造性の少ない業務の連続では、やりがいは得難い。福祉現場の人材難が指摘され、若者の福祉離れが顕著らしいが、さもありなんである。勤務形態や賃金など労働条件も職業選択には重要なよう要件となろうが、残ながら昔から福祉現場の仕事に、余り高く期待できない。そもそも、福祉の仕事を目指そうとする若者は比較的、それらには頓着しない傾向があるように思う。しかし、それも従来の”やりがい”が保障された限りにおいてであろう。
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 ここには、障害者自立支援法2006年以降 白川学園、ひなどり学園が経営や、人材確保に翻弄されてきたことが書かれている。上の文章はとくに人材についてかかれているところを引用させてもらった。これらは高齢者介護サービス事業にも当てはまることことである。 介護施設で働く若者がすぐ辞めていく原因を的確に指摘していると思う。 介護を雇用や経済の1分野と考えてばかりいると、現在の状況は変わらないと思う。

2013年6月3日月曜日

仏教のおこり 私の想像

AさんはM村で評判のBさんのところに行って、Aさん自身の悩みを聞いてもらった。 大変満足し、帰ってきてCさんにそのことを話した。 CさんもBさんのところに行った。Cさん自身の悩みを聞いてもらった。大変満足し、帰ってきてDさんにそのことを話した。DさんもBさんのところに行った。Dさん自身の悩みを聞いてもらった。大変満足し、帰ってきてEさんにそのことを話した。 たくさんの人がBさんのところに行って 自身の悩みを聞いてもらった。大変満足し、帰ってきてたくさんの人にそのことを話した。 Bがあるとき亡くなってしまった。AさんもCさんもDさんもEさんも たくさんの人々が嘆き悲しんだ。 Aさん、Cさん、Dさん、Eさんが集まって悩みのある人の話を聞いていた。みなさん満足していた。しかし、Aさん、Cさんがなくなり、Dさん、Eさんはみんなの悩みをきく自信がなくなってきた。記憶をたどり、Bさんが話していたことを、書きとどめた。AさんとCさんの言っていたこともDさんとEさんは書きとどめた。 書きとどめたものを頼りにDさんとEさんは 人々のなやみを聞き続けた。 Fさん、Gさん、HさんはDさん、Eさんの記憶と、Dさん、Eさんの書きとどめたX文をたよりに人々の悩みを聞き続けた。人々の悩みを書き綴ったY文もあらたにFさん、Gさんによって書き記された。DさんもEさんも亡くなった。 M村の評判はN村やO村に広まった。HさんはX文とY文をたよりにN村で人々の悩みを聞き始めた。IさんはX文とY文をたよりにO村で人々の悩みを聞き始めた。 しかし、N村でもO村でも 悩みを聞いてもらっていた人々の中に満足しない人が出てきた。HさんとIさんはなぜそうなるのかをZ集会場で集まって相談をした。M村とN村とO村では話したり書いたりしている言葉が微妙に違うことがわかった。 HさんとIさんはX文、Y文をもとにZ集会場で一生懸命勉強した。弟子も取った。 しかし、勉強ばかりで 人々の悩みを聞く機会がだんだんと減ってきた。 HさんとIさんはなくなり、弟子のJさん、Kさんがさらに勉強を続けた。 Z集会場には全く人々が集まらなくなった。 あるときLさんがZ集会場にやってきた。もうすでにHさんもIさんもJさんもKさんもいなくなっていた。LさんはX文とY文をもとに考えに考え抜いた。そしてW文を表した。 それは大変難解だった。Bさんは話を聞くだけだったのに 人々にこうしなさい、見えないものでも見えるようになると言うような信じる事ができないと理解できないものだった。 しかし、信じれば結果がよいので、W文は 次第に一つの国だけで亡く世界中に広まっていった。 

   仏教のおこりはこんなものかな?