2012年1月26日木曜日

構築された仏教思想 龍樹 石飛道子

構築された仏教思想 龍樹 石飛道子 佼成出版社  と言う本を読み始めた。 そのまえがき; ブッダは善なるものを求めて出家し、その後生涯、論理と法を友として人々にその教えを説き続けたのである。      ;ただ、彼ばブッダとちがうのは、その実践の順序である。 龍樹は、出家した後まずめざしたのは、論理と法の地でずっと活動を続けることであった。それから後、善なるものへと向かったのである。  ;  ブッダの考えに基づいて活動している人を ”沙門”   龍樹の考えで活動している人を ”菩薩”  と 呼ばれている。     この考え方の違いは前回のべたものによくにている。 沙門(ブッダ)がセン 菩薩(龍樹)がロールズ。  

2012年1月23日月曜日

ロールズの原初的な平等に対して

アマルティア セン 正義のアイデア を 持ち歩いて読んでいる。 この本で センは繰り返し述べている。 ロールズの考え方をしたくない。 それは 原初的な平等という想像上の状況である。  センは この想像することを極端に嫌っている。   これは ブッダの考え方とそっくりである。 ブッダは人間と人間の生き方について 考えた。 かつ考える方法も示した。 初歩的なことから高度なことまで途切れることはなく、想像はない。 急に現れる神もない。  セン 正義について 考えと考え方を述べている。 何かを信じなさいとは言っていない。     この本を読んでやっとここまでわかった。 そこから先がまた難しい。 では。

2012年1月7日土曜日

アダムスミスと公平な観察者 正義のアイデアより

アダムスミスの公平な観察者…  手続き上の内容と本質的な内容の両方を持っている。…  ある人によって提示された評価が適切なとき、その人の考え方や理由を無視してはならない場合が明らかに存在する。   中身と方法の吟味が大切(私の解釈) 

考えることを中止し信じることを押し付けることはない。信じるという行為は 行わない。(私の印象) 具ブッダの考え方と同じように思える。もしかしてインド人の考え方となのではないだろうか。(私の考え) 

2012年1月5日木曜日

正義のアイデイア 遅々として進まず

アマルティア、センの正義のアイデアを読んでいる。1行を何度も読み返さないと理解できない。理解できなくて先に進むこともある。 また元に戻って読み返している。 先に進まない。  読んでいくと論理の飛躍がない。想像がない。確かなコトを確かめながら積み上げて行っている。 さらに考え方の道筋をいくつも提示してくる。結論を急がない。結論が重要でないようにも見える。    読んでいて理解できず苦しいが、 その意味がわかった部分はもっともだと思うことばかりだ。 意味がわかった部分で そんなことはないと 思うところがない。