2017年12月27日水曜日

ごまかさない仏教 続き [空] 言語学

空を理解するために 言語を越えた思考で解決できないか との 発想。昨日の広瀬友紀氏の ちいさい言語学者の冒険で 良いことがいっぱい書いてあった。言語を身につけていく過程で 子供が いろんなテクニックを使っている。とにかく 耳がよい。目もよい。口や舌、呼気の変化と音声の関係をみいだし 共通項を見つけたり一般化したり。言語を身につける以前に能力を持っている。驚きだった。 言語学で思い出して マイフェアレディー の DVD を 引っ張り出して見てみた。以前はこの映画の競馬場のシーンで 部分的にステレオからドルビー多チャンネルに変わるところが面白かった。当時の映画館でそんなことをがわかる映画館は無かったかもしれない。ジェダイの復讐を二条のTOHOシネマに見に行ったとき 二種類の音響システムの映画が上映されていた。多チャンネルの立体音響は心も体も揺さぶる。ただのステレオは単調だ。昔の映画館で音響効果を楽しめるところはそんなに無かったのでは と 想像している。 今みるとマイフェアレディーは 最初から 涙が出っぱなしだった。 ロンドンの下町の花売り 娘 と 上流階級の言語学者の話だ。女王陛下がおられても 女性に選挙権が認められない時代。言語学者は人の話を聞いてロンドンの出身ストリート、職業を言い当てる。下町の花売り娘(オードリーヘップバーン)を 発声から訓練し上流階級のパーティーにデビュー。下町の花売り娘ではなく当時上流階級の非とにレディーと思わせてしまえるか賭けをする。というストーリー。身分 職業 言語を越えて 二人が結びついていたことに気づく。ハッピーエンド。言語を変えていくことで自分のアイデンティティーが揺さぶられていくヘップバーンの美しい姿、声に涙してしまう。

2017年12月26日火曜日

ごまかさない仏教 続き [空]

この本では 空 については 深くは対談してはいない。 本全般に言えること。宮崎氏の日本語の表現力はすごいと思う。私には辞書を引かないと分からない単語を使っているすらすら話している。 しかし 空 の話になると 宮崎氏は言語表現を越えたなにかを 用いないと 人に伝えることができないように示している気がする。また 宮崎氏と佐々木氏ともに 自分を殺してしまわないかという 言葉では表現できない急に襲ってくる なにかについて 共通の認識があるように思う。それは 若い頃の体験の話だ。
 以上の記載から言語を越えた なにか を知りたいと思った。 言語学について本屋さんで検索してみると いくつかの本が見つかった。その一つ。
ちいさい言語学者の冒険 子どもに学ぶことばの秘密 広瀬友紀 著 岩波科学ライブラリー259 2017年8月4日 第6刷
 6刷も重ねている本だ。 まえがき 冒頭からすごいインパクト。----私たちは、小さいころにいつのまにか日本語をいとも自然に身につけ大人になった今は立派に使いこなしています。ですが自分がいったいどのようにことばを習得してきたのか、今になって振り返ってもその過程を思い出すことは残念ながらほとんどできません。ーーーーー

  言語を身につける前に音声の中から言語を選んでいく能力が最初から そなわっている。 言語で置き換えることのできないなにかがある。 思考は言語を使って行うが その前に判断するなにかがある。7才位になると頭の中で言語を使って思考する部分と言語以外のなにかを使って判断する部分の 比率が人によって異なる。 そのように思えた。
 私は以前 小児を診察していた。 たくさんの天才を見ていた。まだ話せなくても 私の事を 理解し 自分も私になにかの形で訴えていた。そのような子達の多くは大きくなるにつれ 天才ではなくなっていく。特にしかられたり たたかれたりすると 天才ではなくなっていく。そのように思っていた。 そんなことを思い出した。

2017年12月20日水曜日

ごまかさない仏教 続き [無我]

p205 佐々木氏
私たちの存在が、まさに仏教でいう五蘊という構成要素の集合体であって、それが機能を持って存在しているということです。

 宮崎氏
 ミリンダ王の問い 車の喩え を 引用。

ここで2にんの 無我である私 の 考え方は 一致している。

  かなり難しい。しかし雰囲気がそうかなあと思う。 素粒子が存在する確率が 原子を 構成し 分子として 集まり 化学的な性質を持ったとき 実体が見えてくる あるいは感じられる。 そんなものだろうか。




2017年12月13日水曜日

ごまかさない仏教 新潮社 2017年11月25日 発行

佐々木閑 宮崎哲弥 の 対談としてかかれている 新潮選書
 宮崎哲弥さんがこんなに仏教のことを知っておられるとは 思っても見なかった。

2017年10月10日火曜日

信じるということ の ほかの 人の行為 一般化

物事の仕組みや原理を考える 共通点を探す。こうであるから こうにちがいないと 予測する。複雑なことを単純化して 全部覚えなくても良い 脳の動きを 一般化と呼びたい。 それは信じるという行為と性質が違う。人の行為以外の自然現象は 好んで一般化したがる。 周期律表 生体膜の活動電位のシミュレーション 原子力発電所の電気エネルギーに変換する仕組み わからないが 相対性理論や 宇宙の成り立ち まで とにかく 一般化 したがる。  一方 人間の行為は 信じる と 一般化 が  せめぎあって いる。奇跡は信じる 奇跡は存在せず科学的に説明できる。偏見はいけない。自由が大事。全体主義は困る。神を冒涜する。 言語の壁があるが スピノザの神の行為と人間の行為について考えること。 脳科学の発達 と AI。

看板に偽りありと腹をたて

上のことは日常よくみられることだ。看板に書いてあることを信じているからそれと異なると腹が立つ。信じるという 行為は日常誰でも その個人のなかで起こっていることだ。円を信じてないと物は買えない。クレジットカードや電子マネーは国家を越えて信用を与えている。貨幣や文字がないときでも ない土地でも 人は物と物 労働と物を交換する行為を信じている。 この信じると言う行為は あくまでも人がいないと成り立たない。対象があり人や人のなした行為である。地球や太陽や木々は信じる対象ではない。