北しなの線で飯綱町の僧侶に声をかけられた。群馬県で在宅の末期医療に取り組んでおられる方の講演と映画上映を聞いた帰りだという。その僧侶は以前に仏教の勉強会をしておられた指導者の一人で私の名前と顔を覚えておいてくれていたのだ。いろんな話をした。特に西本願寺のビハーラ活動に関心があるようだった。その僧侶はサックスを吹く。京都でもバンド活動を行なっていたプロでもある。私の予定にサックスが加わりそうだ。
仏教の勉強会
2026年2月7日土曜日
高野悦子 二十歳の原点
京都市内で立命館大学生だった高野悦子さんが列車に飛び込んで自殺しました。残された日記をもとにお父さんが編集し出版した本です。これが高野悦子 二十歳の原点で 先日 この本の表紙の写真がフェイスブックに投稿されました。 コメントを書く方が多く その本を自宅に持っているという方が大半でした。二十歳は人間や自分の死 自分の生について考える時期でもあります。
ところで仏教では五戎 キリスト教ではモーセの十戒があります。そのなかでは両方とも殺してはいけないと書いてあります。自分も殺してはいけない ということです。考えても殺してはいけないいけないという答えは出ません。そんなものなのです。水や空気のようなものなのです。 生きててなんぼの世界なのです。 では ずっと生きているユーミンの歌 卒業写真を しぶとく生きている今年卒業の尾関さんと来年卒業の魚住が歌います。
2025年12月15日月曜日
本 お金と宗教の歴史 大愚元勝著 東洋経済新報社
まだ一部しか読んでいないが 私と宗教について考え方の違いがある。
p37 その発達した脳から、人の死を悼む心も生まれます。高度な思考ができるようになると、死を考えるようになる「死後の世界」を想像するようになるのです。そのようにして原始的な宗教が生まれてきました。
と書いてある。死後の世界を想像して宗教が生まれたと書いてあるが 私は違うと思っています。生物や人間が死ぬ事に接すると 人間が特別の感情を持つ。他の哺乳類も特別な感情を持つ。しかしそれは ブッダが説いた宗教と別物と私は考える。死後の世界は 見てきた人は誰もいない。それ以上考える事は出来ずそこから宗教が生まれたとは考えられないと私は思っています。
2025年10月18日土曜日
五戒 再考
不殺生と不妄語は 現実と対比しながら自分の生活もみながらそれが正当性があるものと私は思っている。
他の3つについて考えてみよう。
「盗みをしない」(不偸盗戒)、「邪な性行為をしない」(不邪淫)「酒を飲まない」(不飲酒戒)の5つを指します。
についてである。
盗みをしないは当たり前。他人が作ったり考えたものを奪ってしまう。人のものは私のものというどこかの国がやっていそうなことだ。
酒を飲まない。は キチガイ水は呑んでは思考が停止してしまうので まず思考を優先する仏教では当たり前のことである。
残る不邪淫。これが最もややこしい。性行をしなければ子供は生まれず子孫に考えを伝えることはできない。日本の仏教浄土真宗は結婚可 つまり性行為可である。 夫婦以外の性行為が可であるかは分からないが 夫婦は人間が考えたものである。 不邪淫をどこで線を引くかである。ほんとにややこしい。
2025年10月5日日曜日
女性の僧侶
FBに投稿された 女性1人の旅芸人の写真を見て ふと思い出した。4人の女性の僧侶。
1,アンジュさん 野々市に居を構えていた女性の僧侶 たぶん聖。私の小さい頃に家に有った仏壇の前で 御経を唱えていた。
2,お上人さん 私の診た患者さんの一人が寺で下働きをしていた。その寺の女性の住職。後に往診に行っていた。だいぶあとになってどんな宗派かと住職に尋ねた。すると難しい御経を勉強することはない。一生懸命祈る 御経を唱える事が大事だと 言われた。
3,近くの寺の本堂でライブ演奏と歌唱をしていた 僧侶でシンガー。 声もきれいで声もきれいだった。CDも買った。たまたま最近聴き直してみた。
4最初の比丘尼サンガを作った人。ブッダの叔母かな。ブッダの教えに感動して 比丘サンガの一員になって教えを勉強したいと言っていた。しかしブッダは断り続けた。ブッダのいとこで でしのアーナンダに頼まれしぶしぶ比丘尼サンガ作ってもよいと言われた人。マハーパジャーパティー。
来迎図に描かれているようなあの世に連れて行ってくれるような音曲を奏でる女性像ではない。独立した 厳しい女性の僧侶だ。
2025年9月30日火曜日
不惑
不惑と言う言葉がある。私はたぶん不惑には達しないのではないかと思う。今朝もうなされて目が覚めた。あーあ。そこでふと仏教用語を思い出した。阿羅漢と涅槃。阿羅漢は頭で考えて行動するといつでも正しい。涅槃は頭で考えなくても常に正しい。 正しい が 出てくるが これを定義するのは難しい。