2026年3月3日火曜日

人は簡単そうに言うが。私には。

 愛なし から愛  と  神を信じない から宗教   乗り越えられない大きな壁。が私にはある。

かがおとや さんは 科学と宗教の中で 師に導かれ ある時ふと キリストを信じることができたと書いていた。 アーナンダは  悟りを開くことは なかなかできなかったが 何か棺桶を動かす瞬間にできたと思ったらしい。ある音楽の先生 よく愛について話す。 いつから どのようの機会があってから 愛の存在を信じることができるようになったのか 一度聞いてみたい。

私は死ぬまで愛も神もその存在を信じることができないかもしれない。  けっこう誘導されてサギに引っかかりそうになる。それと似ているのかどうかも分からない。五戒がだんだんと正しいと思うようになったからブッダの教えが正しいと思うようになってきたが、一方そこまでに至る長い道のりがある。急に沸いてきたものではない。

2026年2月25日水曜日

ブッダロイド

 

仏教経典学習のAI搭載 悩み相談にこたえるヒト型ロボット開発 と NHKニュース

 仏教にはたくさんの経典がある。本物 偽物 などなど。 それに 日本独自に発展した仏教もある。一度使ってみたいブッダロイド。私は現在ブッダの教えが ほとんどの正しいのではないかと思うようになってきている。ただ大乗仏教的な経典は まだまだ難しすぎて 理解はしていない。特に空について疑問がのこったまま先に進んでいない。浄土宗や浄土真宗など 日本に広範囲に広がっていった理由についても分かっていない。さらに信仰と仏陀の教え 死者への感情、性欲とブッダの考えについても 分からないことがいっぱいだ。このAIブッダロイドがどう答えてくれるのか とてもワクワクする。

2026年2月9日月曜日

本 高野聖

 今日アマゾンで注文しました。 野々市に昔 女性の聖がいました。 京都にも女性の聖がいました。 いずれも一人だけの小さな寺 一人だけの宗派のように見えました。今回の選挙で女性候補が目立ちました。 宗教 祈り 弔い 女性 について もう一度 考えたいと思っています。この本で なにかヒントが得られるかもしれないと思って 読んでみたいと思います。 聖 というのは 寺に属さない僧侶のことです。

2026年2月7日土曜日

サックス奏者が加わりそうだ。

 北しなの線で飯綱町の僧侶に声をかけられた。群馬県で在宅の末期医療に取り組んでおられる方の講演と映画上映を聞いた帰りだという。その僧侶は以前に仏教の勉強会をしておられた指導者の一人で私の名前と顔を覚えておいてくれていたのだ。いろんな話をした。特に西本願寺のビハーラ活動に関心があるようだった。その僧侶はサックスを吹く。京都でもバンド活動を行なっていたプロでもある。私の予定にサックスが加わりそうだ。

高野悦子 二十歳の原点

 京都市内で立命館大学生だった高野悦子さんが列車に飛び込んで自殺しました。残された日記をもとにお父さんが編集し出版した本です。これが高野悦子 二十歳の原点で 先日 この本の表紙の写真がフェイスブックに投稿されました。 コメントを書く方が多く その本を自宅に持っているという方が大半でした。二十歳は人間や自分の死 自分の生について考える時期でもあります。  

ところで仏教では五戎 キリスト教ではモーセの十戒があります。そのなかでは両方とも殺してはいけないと書いてあります。自分も殺してはいけない ということです。考えても殺してはいけないいけないという答えは出ません。そんなものなのです。水や空気のようなものなのです。 生きててなんぼの世界なのです。 では ずっと生きているユーミンの歌 卒業写真を しぶとく生きている今年卒業の尾関さんと来年卒業の魚住が歌います。

2025年12月15日月曜日

本 お金と宗教の歴史 大愚元勝著 東洋経済新報社

 まだ一部しか読んでいないが 私と宗教について考え方の違いがある。

p37  その発達した脳から、人の死を悼む心も生まれます。高度な思考ができるようになると、死を考えるようになる「死後の世界」を想像するようになるのです。そのようにして原始的な宗教が生まれてきました。

と書いてある。死後の世界を想像して宗教が生まれたと書いてあるが 私は違うと思っています。生物や人間が死ぬ事に接すると 人間が特別の感情を持つ。他の哺乳類も特別な感情を持つ。しかしそれは ブッダが説いた宗教と別物と私は考える。死後の世界は 見てきた人は誰もいない。それ以上考える事は出来ずそこから宗教が生まれたとは考えられないと私は思っています。

2025年10月18日土曜日

五戒 再考

 不殺生と不妄語は 現実と対比しながら自分の生活もみながらそれが正当性があるものと私は思っている。


他の3つについて考えてみよう。


「盗みをしない」(不偸盗戒)、「邪な性行為をしない」(不邪淫)「酒を飲まない」(不飲酒戒)の5つを指します。 


についてである。


盗みをしないは当たり前。他人が作ったり考えたものを奪ってしまう。人のものは私のものというどこかの国がやっていそうなことだ。


酒を飲まない。は キチガイ水は呑んでは思考が停止してしまうので まず思考を優先する仏教では当たり前のことである。


残る不邪淫。これが最もややこしい。性行をしなければ子供は生まれず子孫に考えを伝えることはできない。日本の仏教浄土真宗は結婚可 つまり性行為可である。 夫婦以外の性行為が可であるかは分からないが 夫婦は人間が考えたものである。 不邪淫をどこで線を引くかである。ほんとにややこしい。