2020年8月31日月曜日

おおざっぱな 日本仏教の 捉え方

 原始仏教 出家と在家の二重構造社会 出家者は働かない、結婚しない、いただいたものを食べ 粗末なものを着て 集団で暮らす。瞑想したり、勉強したり、悩みのある人が来たら相談にのる。在家から出家者になる人を提供してもらう。 出家と在家はギブアンドテイク。ブッダはそう言う仕組みを作った人。仏教そのものが現実の人間社会の出来事についての話。

日本仏教 阿弥陀仏や観音菩薩が 浄土に連れて行ってくれることを ひたすら願う。阿弥陀や観音は仏ではない。あくまで菩薩。菩薩は 人の 利他行を行う。 波羅蜜を続ける。それが完成すると仏になる。 仏になるという自利を得る。日本の僧侶は 死んだ人が浄土に菩薩が運ぶのを 手伝う役目だ。お願いするのが仏教。仏教が人が浄土に連れて行ってもらうと言う考え方の話。

般若心経 是諸法空相

 前に 法は1つ 一般的であるのに ここで改めて 諸法 と 法がいくつもあるように言うのは 変。と 書きました。 今回は 空相です。空という相 だと書いてある。固体 液体 気体と 物質の相 言い換えれば状態。 空というのは 空という状態なのだ と 言っている。 法は原理、規則である、一方空は 状態ということ。  水を例にとる。液体の状態が水 機体の状態が水蒸気。水が水蒸気になる というのが 法によっている。水とか水蒸気とかという状態で 別の空という状態があるのかもしれない。水分子という色がなくなって水素と酸素だけが残っている状態が空という名前の相なのかもしれない。

2020年8月28日金曜日

仏教の徳 アブラハムの徳

 仏教は 戒を守ることによって 知恵が得られ 徳が上がる。

その戒は 殺してはいけない 嘘を言ってはいけない 性行為を誰彼となくしてはいけない 盗んではいけないなど いけない ばっかり

ユダヤ教の アブラハムは 徳の模範。ハクナサットオルヒーム 見知らぬ人や旅の行者への親切なもてなし。(p41 トーラーの知恵 ラビ ピンハス ペリー著 ミルトス発行)

いけない ではない。

徳を大切にするがたどり方が違う。

2020年8月27日木曜日

本 日本宗教史 末木文美士著 岩波新書

 p51 日本仏教の基礎の確立

1、最澄が確立した一乗思想

2、戒律的には最澄が提案した大乗戒の思想

3、空海が提出した密教の即身成仏思想

4 、鎮護国家を標榜しつつも奈良時代の国家仏教からは距離を置く(比叡山と高野山)


私の追加  そういう基礎があって平安中期 唐の衰退、遣唐使廃止 最後の遣唐使 円仁、具足戒の無視?、(観音や)阿弥陀など浄土思想の醸成 (観音と阿弥陀のすり替わりがあったかも)ほぼ日本仏教が確立する。


2020年8月25日火曜日

本 セルフ受戒で仏教徒 大竹 晋著 国書刊行会

 p5 ただし、戒をうけ、たもつことは仏教の実践のうちもっとも人気のない要素であると言って過言でない。こんにち仏教の実践に興味を持つ人は多いが そのような人はたいてい瞑想を学ぶことによって安楽に生きたいと思っており、戒をうけたもつことはむしろ苦行に違いないと考えている。


戒についてわたしはそのようには思っていない。戒を知り戒を実践することによって 自分の考えが だんだんすっきりしてくるような気がしている。苦行ではなく愚かな自分を助けてくれているような気がしている。

般若心経 のり

 般若心経は 短いお経。最後の呪文に向けて 静かな説明から徐々に

のってくるように なっている。

2020年8月24日月曜日

本 セルフ受戒で仏教徒

令和2年6月25日発行
日本語で日本人が書いた 画期的な仏教書だと思う。中身は読んではいないが タイトルだけでウキウキする。
 

2020年8月23日日曜日

無明

 ムミョウと呼びます。 便利な言葉です。そんなものがあるかないかわかりませんが。

自分自身が意識しない欲望のことです。酒を飲んで 意識しない 覚えてもいないのに 暴力をふるったり 盗んだり 大ぼらをふいたり することがあります。 自分自身のどこにそんな欲望が隠されていたのかと わかってがっくりきます。 しょうわる人間。 その 欲望が無明だと理解しています。お腹がすく、なにか食べたいと思うが 意識して食べたいと思う場合より 無意識に食べたいと思う場合が多いのではないでしょうか。 そういう欲望が無明です。 生きるために自然と自分に備わっている機能のようです。 

 コロナ感染予防を意識して行っていても 自分の知らないうちに 抱きついたり 手を握ったり 食べたりしてしまいます。酒を飲むとなおさらです。

 無明はコントロールしにくいものです。



2020年8月21日金曜日

般若心経 何度読んでもおかしい

 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

諸法なんてありえない 法は一つ。相とは 色々変化しているから相なのに 不生不滅 不増不減 なんてありえない。 空といえばなんでも 無 とか 不 を つければ 良いと思っているのではないか。


2020年8月20日木曜日

般若心経 色と空の頭の体操

 空即是色の 色

狭義の色 と 広義の色があるが この空即是色の色が広義の色であるならば

受想行識亦復如是はいらないのではないか。


我々は 色で 数直線を認識できる。数直線上に整数も認識できる。ー2、ー1、0、1、2と0を認識できる。0という何にもないというものから 数直線を頭に描くことによって何もないという0ではなく 0 という値がある ということを 認識できる。

本 科学化する仏教 碧海寿広著 角川選書

 期待して 序章を読んでいたが 嫌になった。科学という言葉の解釈は私とは違う。仏教という言葉の解釈は私とはちがう。

 知ったり 調べたりしたことを 並べているだけ 人間とはいかなる存在かとか 世界はどのような法則のもとに成り立っているか などと ブッダの教えは そんな答えの出ないようなことを 言っていない。 自分の悩みを 考え すっきりしたあとに人の相談に乗った。

 そんな 普通のことのように思う。 一方 科学は知らないことを知りたいという単純な欲求から出発している ように思う。 両方の共通点は つそをつかないこと と 考え続けること かと 私は思う。

2020年8月19日水曜日

本 科学化する仏教 碧海寿広 著 角川選書

 この本は 仏教の瞑想と科学の関係について の 現代の考え方の紹介だ。脳科学やマインドフルネスの流行にそったものだ。著者の考え方を知ってみたいと思っている。

一方 本 議論好きなインド人 アマルティアセン著 p56に 古いインドのチャールヴァーカの主張を紹介している。p56  神の否定に加えて、魂が否定され、さらに精神の物質的な基盤が主張される。「あたかもある成分の混合から酔わせる力が生じるように、身体のかたちに変化したこうした物資的な要素からのみ精神が生じるのである。これらが破壊されたとき、精神もおのずから消滅する。



2020年8月17日月曜日

本 議論好きなインド人 明石書店

 マハーバーラタの短い評がなかったので このブログにあまり描かなかったが この本に 見つかった。

p22

とはいえ 叙事詩マハーバーラタ自体は続く部分において 二つのもっともな立場を示した議論として、相反する主張のいずれも細心の注意と共感を持って描き出す。マハーバーラタの終わりに近づく部分に描かれる、戦闘と殺戮が終結した後の土地、すなわちインドガンジス河平原あたりの土地の悲劇的な荒廃の様子は、アルジュナの抱いた深遠な懐疑の正しさを証明するものとも読める。バガヴァッドギーターのメッセージが何をいみしようと、アルジュナの反論は実際は完全に駆逐されてしまったのではない。たんに前進するのではなくよく生きるべきである、という力強い主張は残っているのである。


チャイコフスキーの6番悲愴を イメージしていただければ 納得いくかもしれない。

主張と反論が行ったり来たり だんだん深くなる けれど終わらない。 インド人はこんなんかもしれない。

本 議論好きなインド人 アマルティアセンの論文集 明石書店

 この論文集の前書き。 セン自身の前書き

深さは入れ子 と 感じた。

p5 第1篇で論じるように リグヴェーダは これらの問題に根源的な疑問を表明する。「誰か正しく知るものぞ、誰かここ宣言しうるものぞ。この創造現象界の出現はいずこより生じ、いずこより来れる。、、、そは誰によりて実行せられたりや、あるいはまたしからざりしや、___最高天にありてこの世界を監視するもののみ実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。」


2020年8月15日土曜日

般若心経 長いものには巻かれろ

 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提

みんなこうやってきたのだよ 般若波羅蜜で いいんだよーー。わかるねーー。

2020年8月12日水曜日

般若心経 無智亦無得 次に続く 以無所得故

 無い無い尽くしをしないと涅槃はないと 言ったものの その論理すら無い無い尽くしにされてしまっては どうしようもないという言い訳のようだ。 法を理解するだけに止まっていても不都合はないのに 無い無い尽くしにしてしまったばかりに 涅槃そのものも無くしてしまった。勉強そのものも無くしてしまった。 般若心経では サンガは必要でなくなっている。

観音菩薩はいきなり般若波羅蜜で新たな涅槃の境地にワープする。

2020年8月11日火曜日

般若心経 嘘を言ったら止まらない。あとはのとなれやまとなれ。

 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意  

空の中身は無い無い尽くし。 いったん 無いと言ったら 全部がないと言わないと だめなことになった。 ここまでくれば 口から出まかせだ。 


2020年8月10日月曜日

ユダヤ教 と 初期仏教 似ているところと 違うところ

 本 トーラーの知恵 ラビビンハスペリー著 ミルトス 発行

p16 トーラーを与えてくれた神のみが師であり、私たちは皆その弟子である。トーラーは、この 師と弟子という相互関係の結果として、常に再創造され、活性化されるのである。

この文章を変えてみる。 神 を ブッダに、 トーラーを 法に 。するとそっくりに見える。

一方 ユダヤ教 の 基本は 家族 子供の頃から家庭で トーラーや 聖書の勉強をする。よく働く。

一方 仏教は サンガで 勉強する。出家者は働かないし、結婚しない、子供は作らない。社会構造そのものが二重構造。

般若心経  矛盾

    舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

無常 と いっていたものが なんで 不増不減になるのだろう。五蘊は移り変っていくから無常。不増不減ではない。不増不減なのは何か? 是諸法空想 と言っている。法がいくつもあると言っている。 そして 空ではなく空相だと言っている。訳がわからない。

2020年8月7日金曜日

無常 無我 空 

 無常と無我 

 が 言われた頃 ブッダの時代

 常に変化している 移り変わるので 無常

 移り変わっていくものだから 実体がない 自分自身 も 同じく実体がない から 無我

 移り変わって実体がない という 決まりのことを 法と呼ぶ。 これは 変える事はできない 絶対的 本質的な事。


 が 言われた頃 ブッダが亡くなって500年ぐらいした頃 観自在菩薩が いた頃

 五蘊という実体のようなものは 実は 実体がなく それを 空と呼んだ

 さらに 突如飛躍して 実体がないことを 法と呼んでいたが 法ということ自体に 実体が 無いと いう発想となって 単に実体がないことが空 と 読んでいた以上に 実体がないという決まり以上に 決まりそのものも 実体がない それが 空の 意味とした。

 無常 無我は 変化するのに 一方通行的な 時間の流れが必要だ。

 一方 空は 時間の流れの必要でなく 現実 色 そのものが 空だと 言うように発展した。



 

般若心経 突然ですが 舎利子

 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色

と 続いていく。

観自在菩薩が 五蘊を見ていたのに なんで 突然 舎利子 が 色不異空 と 言い出すのでしょう。 わからない。 般若心経が書かれた頃には 舎利子は この世にはいない。舎利子はシャーリプトラのこと。 さも ブッダがシャーリープトラに 説明した というように 書いてあるようだが。 500年も生きていたとは考えにくい。  観自在菩薩がブッダの流れを汲むと 言おうとしているのかもしれない。

2020年8月1日土曜日

般若心経 ブッダの教え から 一つの宗教に 変身するところ

故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実 不虚故

それまで 空や般若波羅蜜多について説明して来たものが 一気に 信じましょう という宗教に 変身します。 やっぱりブッダの教えは 他の宗教とよく似ている 唱えるもの だったんだと 言う場面です。