2022年1月31日月曜日

本:コーランには本当は何が書かれていたか?カーラパワー著 秋山淑子訳 文藝春秋 

 読み進めるに従って 嫌になってきた。 言った言わない。書いてあるが解釈が異なる。男が悪い女が悪い。   キリスト教 イスラームともに 歴史が浅いからなのだろうか。仏教ではとっくに解決済みのことを  ぐうたら言っているのではないかと 思えてきた。

 仏教では 比丘サンガと比丘尼サンガが 別れている。 アーナンダがブッダに必死に頼んで 比丘尼サンガを作ってもらった。

マハーパジャーパティー: 最初の比丘尼 単行本 – 2015/9/10

ショバ・ラニ ダシュ (著), Shobha Rani Dash (原著), 福田 琢 (翻訳)

この本にその経緯が詳しく書いてあります。 ブッダは 愛欲を消すことはできない。愛欲が大きくなると 真理を追求することができないと 考えていたようだ。 だから 比丘サンガと比丘尼サンガをわけて 作った。   男が優位とか女が優位とか、差別するとか そんな 考えは毛頭なく、愛欲の強さから 出家者を 開放するために分けたのだと 思われる。 日本に伝わった大乗仏教では いつの間にか 男性優位になってしまっている。年貢、税金の取り立てが世帯単位であったためそうなってしまっているのかもしれない。  一方、日本の寺では 坊さんは女好き、稚児好き、同性愛者が 当たり前の様に考えられていたようにも思う。 

 紆余曲折はあったが 日本は概ね男女を差別して考えることはなく また 愛欲すら 否定はせず、 必要なもの と している。  キリスト教やイスラームとは 全く違う。 

2022年1月29日土曜日

本:コーランには本当は何が書かれていたか?カーラパワー著 秋山淑子訳 文藝春秋 

 本題から外れるかもしれないが、私の感覚と異なる古い西欧的な考えが わかる箇所。

第10章「女性章」を読む

p262

コーヒーまではいいが、それ以上のことはそうした集まりでは禁止なのだった。ひとたび菓子類を許すと、お菓子焼き競争やおもてなし競争が始まるからだ。


コロナで自主規制するのと、緊急事態宣言によって法的に行動の規制が行われるのと、罰則規定のある戒厳令と どれを選ぶのか というときの一般大衆の動きを予想するのに 役立つような記述だ。 古い西欧的な考えでは規則があるときちんと従うが規則が取り払われると 競争などをして 何をしでかすか、どうなるか 予想がしにくい。 なんせ、競争が好きなのだ。

2022年1月26日水曜日

再び同じ本 変わるイスラーム源流進展未来 レザーアスラン著 白須英子訳 藤原書店

 この本の日本語訳のまえがきには イスラムの歴史 ウサマビンラディンがなぜ現代に出てきたのかがわかりやすく短く書いてある。

1.イスラム イスラームの 祈りその他生活のすべてを指導する神学校があり学者がいた。手引書が イスラーム法シャリーア。  わからないことがあれば 学者先生にお伺いを立てた。

2.宗教改革現象がかつてキリスト教、ユダヤ教で起こったがすでに終わり、現在イスラム教では進行中である。結果として宗派、分派、分裂が生ずる。 信仰の意義を 定義するのが 機関であるか 個人であるかに 起因する。 この著者の論点の特徴であり 理解するのに時間がかかる。

3.預言者アブラハム モーセ、イエス、ムハンマドは あらたしい宗教機関ないし制度習慣を創設し宗教改革を先導した。そしてあたらしい宗教機関、宗派が出来上がってきた。

4.イスラームは 今まで 単独の宗教権力機関を持つことはなかった。 キリスト教は長期間に渡って政治宗教が 一体となってきた。宗教権力機関である。 ローマ教皇、バチカン。

5.ムスリムの宗教指導者 学者先生は あくまで学者であって聖職者ではなかった。宗教的知識を 独占してきた。

6.現代、西欧とイスラムの国境を巡る争いを継続的に行ってきたが それに変化が出てきた。

7.世界的な識字率の上昇。企業、文化のグローバル化、インターネットの発達 。これらは 伝統的宗教機関の宗教的権威を侵食していった。

8.それまでアラビア語に限定されていたクルアーンが 多言語に訳され 男性、女性にどんどん開放されていった。宗教的権威、知識ともに 開放されていった。 キリスト教が教皇権威が失墜し聖書ならびに 聖書の教えが開放されていったのに 似ている。本や印刷術が大きく貢献していた。 

9.インターネットの発達、利用 は 宗教指導者の秘密の知識を 殆どの人に

開放していった。 イスラムに対する疑問が 簡単に ネット情報を見ることによって解決するようになった。 学者の権威は失墜、権威に頼ってお伺いを立てるより、自身が調べて自分が判断するようになっていった。   法的見解を探し求めるムスリム。という 存在が現れ増加した。

10.そういう宗教的個人主義を求める人々の中から ウサマビン・ラディンが登場してきた。 ウサマビン・ラディンは自分自身の法的見解を発行すると それに 賛同する人がたくさん出てきた。 なぜ賛同するのかは まえがきでは 書かれてはいない。 しかしウサマビン・ラディンの 見解は ジハードに対する原理主義的再解釈であったと著者は述べている。


以上がこの本のまえがきの要約と私の感想である。

2022年1月25日火曜日

反バラモンとしての仏教

 ブッダの時代のブッダの教えには 反バラモンとしての 出来事が 多く記されている。その後の 仏伝では さらに バラモンよりブッダが優位であると 何度も出てくることになる。

しかし 歴史的に見て 何かの反対勢力とか反動とかは 極端な 破壊的行動をとりがちであり、何かの希望に向かって行動するということが少ない。 仏教も初期にはそのようなものだったのかもしれない。

2022年1月19日水曜日

本:コーランには本当は何が書かれていたか?カーラパワー著 秋山淑子訳 文藝春秋 

 第7章 歴史に埋もれた9000人の女性たち

p197

「伝統的にイスラム教徒の多くは一族の妻たち、娘たちの名が公表されることを嫌っていました」。講義の受講者の記録、マドラサやモスクの記録から女性の名前を抹消するのは、まさしくヒジャーブ概念の拡大解釈によるものなのであった。ヒジャーブという言葉は普通は女性の被り物を指しているが、実際にはもっと一般的に、男性と女性に求められる慎みの意味でも用いられていた。女性を公衆の目に触れないようにしようという努力が続く中で、学識ある女性たちの生涯と業績は、単純に無記録のまま放っておかれた。 

。。。。。

「誰それの妻、誰それの娘、としました」

。。。。。

Mr.Mrs.と似ている。

日本の国民健康保険などでは いまだに世帯主という言葉が使われ、稼ぎがあろうがねたきりであろうが 成人男性が世帯主となっている。

平安時代の 日本文学でも 女性作家の名前はふせてある。


なんで こんなことが起こっているのか 起っていたのか はっきりしない。男性の特定の女性に対する独占欲も 一つの原因なのかもしれない。


2022年1月17日月曜日

信仰と日常の不連続性について 本:コーランには本当は何が書かれていたか?カーラパワー著 秋山淑子訳 文藝春秋 

 不連続性を埋めるために 作者の取った行動。 この本から見えてくるもの。

作者はコーランの教えに基づく生活をおくっているアクラムにたいして、

西欧人のなかで育った作者自身が 憧れをいだいているのがわかる。 一方 アクラムの行動そのものを西欧式の言語のカテゴリーに入れ込もうと考えをめぐらしているようにも見える。

「感謝の念」「寛容」「忍耐」

などなどの 言葉を使用する。