2014年10月30日木曜日

想像お絵描き人間特有?

2014年10月28日京都新聞28面
-----想像お絵描き人間特有?チンパンジーと乳幼児比較
 3歳の幼児は目や鼻を正しい位置に書き込んだ。 チンパンジーは顔の輪郭だけの絵に目や鼻を描くことはできない。

 松沢教授は「 絵を描く行為に人間の認知能力が表れている。目の前にないものに思いをはせることは、言語の獲得と密接な関連があると考えられる」と話している。          (松尾浩道)------


 2歳の子を見ていつも上記の事を感じる。靴の先端の形をみて、右足の靴と左足の靴を正しい足に履くことができる。どんなに変装しようとドキンちゃんをドキンちゃんということができる。 トリはどんなトリでもトリ。お花はお花で葉っぱではない。 3歳になれば三角 四角 丸 を 言葉で言いながら書くことができる。スマホでもデジカメでもどこがシャッターで 押したらどうなる、触ったらどう足るかを認識している。4歳では写真に写ったトラクターをこの車はどんな車かと聞くことができる。 6歳は 共通項を見つけたりして解く因数分解は 教えれば得意である。 もっと大きくなれば定理をつかって新しい定理を証明することができる。構造化プログラミングで更に大きなプログラムも書くことができる。 一般相対性理論も存在している。

 私たち人間の脳は 一般化することが大きな仕事であるように思う。それは教えられるものではなく、もともと備わっている能力なのだろう。少ない神経細胞と増えつづけるシナプスを狭い前頭葉で効率よくはたらかせるためなのか。


 真理を求めることと同じ意味なのかもしれない。


数ⅡBの赤チャートのすべての問題を解答を見て解き方をながめる事を200回やること、と よくわかる数ⅡBの2問をゆっくり自分で解いたのと どちらが楽しいでしょう。 更にあらたな問題を解こうとしたときどちらの人が解くことができるでしょう。 もちろん後者だと思います。

 先に浄土の説明を聞いたとしても、阿弥陀仏を何万回となえても、自分で考えたものでなければ楽しくも何ともない。 私たち人間は よく考えることが 運命づけられていて、それが幸せなようなきがする。



2014年9月8日月曜日

歴史のなかの真宗  自律から従属へ  福嶋寛隆 著 永田文昌堂

歴史のなかの真宗  自律から従属へ  福嶋寛隆 著 永田文昌堂

 福嶋寛隆ー1938年鹿児島県生まれ 龍谷大学名誉教授

真宗の歴史がわかりやすく書かれている。 真宗史 423頁ーーーしかし、日本

の近代化は天皇制の確立と切り離すことは出来ません。私は、国民の内面を収奪

しつくした天皇制に身も心もいれあげていった仏教をどこかで積極的に評価する

ような見解に従うことはできません。  
 このような視点から、明治初年、西本願寺を先頭にしてなされた神道国教化=

廃仏への批判、抵抗の運動、そこでの政教分離、信教自由の主張をはじめ、教団

近代化(代議制の採用など)の問題を検討すべきでありましょうが、省略させて

いただきます。ただ、前者について一言つけ加えておきたいのですが、この運動

のリーダーが島地黙雷で、彼は「一命を賭して」それとたたかいました。そのた

たかいのなかで、彼は真宗がもともと「抵抗力」ある「人民の宗旨」であったこ

とに気づきます。彼は仏教の全面的廃毀という事態に直面して、蓮如への復帰で

は足りず、親鸞へのそれでなければならないともいっています。しかし、それを

果たすことができず、彼の指導した運動が実らせたのは国家への奉仕とひきかえ

にした布教の自由、すなわち明治八年の「信教の自由保障の口達」であり、帝国

憲法の信教自由条項でした。島地黙雷においてさえ、人権としての「自由」を要

求する基盤がなかったのです。それは、自ら提起した親鸞への回帰を果たしえず

、「従属の論理」と化せしめられていた教団の伝統的信仰理解を脱しえなかった

ことの帰結であったといえましょう。 戦時下、あるいは敗戦後の教団がいった

い何をなし、何をなさなかったか、私が申し上げるまでもないと存じます。私た

ちの教団は、いまやっと信仰理解に根底からの検討を加えなければならないこと

に気づきつつあります。親鸞への回帰ーーもちろん現代的にそれはなされねばな

りませんがーーなしには教団の再興もありえないという認識に到達しつつありま

す。ーーーーーー

 真宗を冷静に謙虚にみておられることに 感動しました。真宗と廃仏毀釈につ

いて理解できたような気になりました。

2014年9月6日土曜日

神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈  安丸良夫 著 岩波新書

神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈  安丸良夫 著 岩波新書

 自分なりにまとめてみた。ーーーー宗教的な出来事を通して明治維新をみた 

確りとした本でした。 各宗派、各地方、役人の細かなやりとりが 書かれてい

る。  封建社会から 近代社会、中央集権国家、西洋文明、西洋から侵略され

ない政治体制に変化していく日本を描いている。 国体というあらたな価値観を

作っていく過程が描かれている。当初はあらたに造り上げられた国家神道による

宗教国家をめざそうとしていた。しかし、キリスト教中心の西洋諸国から見ると

国家神道が教理のハッキリしない、多神教で、神話の世界から出発した 劣った

宗教と 見なされていくことがわかってきた。 また、真宗の組織力、財力、国

家権力に対する柔軟性、教理に対する柔軟性が 国家と争うことなく 権力側に

入り込んでしまった。ーーー 



 最後に 210ページ ーーー神仏分離以下の諸政策は、国民的規模での意識

統合の試みとしては、企画の壮大さに比して、内容的にはお粗末で独善的、結果

は失敗だったとも言えよう。しかし、国体神学の信奉者たちとこれらの諸政策と

は、国家的課題にあわせて人々がこうした立場からの暴力的再編成を拒もうとす

るとき、そこに提示された国家的課題は、より内面化されて主体的にになわれる

ほかなかった。国家による国民意識の直接的な統合の企てとしてはじまった政策

と運動は人々の”自由”を媒介とした統合へとバトンタッチされて、神仏分離と

廃仏毀釈と神道国教化政策のレシは終わった。ーーー


 私は キリスト教中心の西洋諸国からの揺さぶりがあったにせよ、農民、武家

、公家、商人 あらゆる階級が 江戸期までに蓄積された 内面のエネルギーを

爆発させていったように思った。

2014年8月29日金曜日

死後はどうなるの? A.スマナサーラ 著 国書刊行会

死後はどうなるの? A.スマナサーラ 著 国書刊行会

スリランカ上座仏教の長老が 死についてどう考えているのか知りたかった。

1.13ページ 明確にいうと、亡くなったらその後の命がつづくのか、つづかないのか、ということもわからないのです。わからないことについて、いちいち説明することは仏教ではしません。わからないことは何とでも言えるからです。

2.70ぺーじ 「成仏しました」は単なる文化的なことば   人が死んだらかわいそうだし、惜しいし、悔しいし、いなくなってほしくないという人間の感情があります。やっぱり「ホトケさま」にするほうが「遺体」と呼ぶよりいいという慰めでしょう。それは文化ですから、別に批判しているわけではなくて、文科的なものと仏教的な真理を区別しましょうということなのです。

3.246ページ 仏教が教える輪廻転生はかわらない宿命をとくものではありません。永遠不滅の尊い魂を説くものでもありません。ただ、生滅変化するという無常観こそがブッダの明らかにされた輪廻転生の真実なのです。


日本の真宗が仏教ではないとされている。 

2014年8月12日火曜日

ナショナリズムと宗教


中島岳志 著 文藝春秋ライブラリー

この本インドのヒンドゥーナショナリズム運動について書いてある。 そのはじ

めに より

”民衆の多くは経済的にだけでなく、精神的にも文化的にも豊かな生活を送るこ

とを志向している。彼らは包括的な善き生のあり方を日常的実践のなかで追求し

ている。このような民衆レベルのモメントを、ヒンドゥーナショナリストたちは

「ヒンドゥー」、の名の下、政治的に回路づけようとする。彼らは単に一元的な

イデオロギーを上から強要するような活動によってではなく、多元的なチャンネ

ルを介してインド国内の多様な集談の欲求をヒンドゥーナショナリズムの政治的

指示へと翻訳しようと試みている。”

このような民衆のパワー、宗教観と 宗教の利用の仕方 は  日本の明治維新

と よく似ているように思われる。

2014年7月25日金曜日

私たちの社会の過剰同調的な特質

私たちの社会の過剰同調的な特質

 岩波新書 神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈 安丸良夫 著

この本の ”はじめに” この作者の 伝えたいことが 確りと書かれている。 

"これら宗教的行為がふかい宗教性なしになされるのは、その由来からしても当然のことなのである。ふかい内省なしに、雑多な宗教的のものがほとんど習俗化して受容されている、といえよう。そして、ほとんど無自覚のうちにそのなかに住むことを強要してくる習俗的なものが優勢で、そこからはみ出すとおちつかなくなり、ついにはほとんど神経症的な不安にさえとりつかれてしまうところに、私たちの社会の過剰同調的な特質があるのであろう。 私たちの社会のこうした体質をつくり上げる諸契機として、どのような歴史的動因がはたらいていたのだろうか。神仏分離と廃仏毀釈についての歴史的な考察は、こうした精神史的な問いに、ささやかな手がかりを与えてくれるものと信ずる。"

 
 私には LINE、いじめ、明石家さんまや小堺一機の番組、 画一的なニュース番組 など、   社会の過剰同調的な特質が 見て取れる。

 時の権力者はそれを 利用し 政治を行っているのかもしれない。

2014年6月26日木曜日

京都認知症カフェ連携

2014年6月25日の京都新聞に

京都認知症カフェ連携 の 記事が載っていた。
 私は医師の仕事をやめた後認知症カフェを作りたいと考えていた。住ん

でいる地域の認知症のかた、家族にお金や さまざまな団体の偏った圧力

や情報を気にすることなくホットする場所を提供したいと考えていた。 
 京都新聞の記事によると 6月28日に 京都認知症カフェ連絡会が発足

する。行政や社会福祉協議会からの委託や民間、医療団体など運営主体の

異なる府内約30のカフェが参画する。 と。
 私の考える認知症カフェとは異なるものが出来て行くような気がした。

 そして認知症カフェを作りたいと言う熱も 急に冷めてしまった。

私は人と一緒に何かをしたり、団体を作ったりすることが嫌いだったとい

うことを思い出させた。 自分の診療所で人を雇っていること自体が好き

ではない。 
 私自身は たくさんの団体(日本政府、京都市、京都府、医師会、大学

高校などなど)の お世話になっているのに、自分の性格が愚かと言うほ

かない。 

 ダンマパタ 歓楽を追い求めず 執着なき人は 世のふつうの人には楽

しめない 森を楽しむ。

 執着のある自分は他人と接するのは当然であるのに 。

他人と接しなかったら 執着がなくなる ということはない。順番が逆で

ある。

 

2014年6月23日月曜日

アナと雪の女王

昨日 娘、4才と1才の孫と4人で二条TOHOシネマズに アナと雪の女王を

見に行った。

 2人の孫にとって恐怖体験をさせたと思った。 娘も同感であった。

3Dサウンドにおびえ、

繰り返される暴力におびえていた。 汗びっしょりになり、最後までかえ

ろうと言い続けていた。  ハッピーエンドの美しい音楽と映像で終わる

ことを信じて 最後までみせた。 その日の恐怖を忘れさそうと ポップ

コーン と 公園の滑り台、ブランコ、お寿司で締めくくった。

 一杯いろんな事を考えた。

#3Dのサウンドについて#  リアリティーのある音が好きで音響装置

も購入し楽しんでいる。AVアンプ、スピーカーシステム、大画面 自分の

へやで楽しんでいる。 古い映画でマイフェアレディー。これの競馬場の

場面が 3Dサウンドになっている。 昔の劇場にはこの音を出せるとこ

ろはなかったと思う。いまは家庭でその音が手に入る。 二条TOHOシネマ

ズが出来たころジェダイの復讐という映画がかかって、その音響を聞きた

くて見に行った。 同じ映画のタイトルで音響の違う映画かかっていた。

それだけ音響を重視した映画であった。 たまたま二条TOHOシネマズの音

響装置が上映中に故障し 次回上映のタダ券をもらったのを覚えている。

 3Dサウンドのオーケストラの演奏のDVDやブルーレイを良く聞いている

が あまり響きすぎて、心地よくきこえないときがある。耳に刺さったよ

うに響くときがある。clearなだけでは心地よくないのかもしれない。 

そういうときは ステレオアンプの音を聞いている。 

 孫は2人ともトトロのアニメが好きで1才の孫もトトロの歌をうたう。小

さなテレビで小さなスピーカーからのステレオでこのDVDを楽しんでいる

。100回ぐらい見ているかもしれない。

 孫は私の部屋の音響システムでボリュームを上げるとやかましいという

。 孫は わたしより 耳が良く、良い音を知っているように思う。私自

身人工的な音になれきってしまっているように思う。 

#ディズニーの映画について#

 昔も今もストーリー展開、テーマは同じだ。 さまざまな階層の人がい

て暴力、争いが絶えないが、最後には 愛が 勝って みんなが幸せにな

れる。 暴力で死ぬ人や動物はいない。   私は小学生低学年のころ 

2週間に1回金曜日の夜放映される ディズニーのテレビ番組をずっと見て

いた。ウオルトディズニーさんの解説付き 4つの国から1つが選ばれて

放映される。 必ず見ていた。 プロレスや野球がなければ良いと思うく

らい好きで見ていた。劇場映画もディズニーのものは親に頼んで連れて行

ってもらった。  自分の心の中にアメリカ小市民的とも云える 愛 が

 しっかり刻み込まれている。  早くお家に帰りたいという孫に 最後

まで映画を見させた。 この映画のラストは 愛が 勝って みんなが幸

せになる場面が 必ずやってくると 信じていたから 最後まで映画を見

せた。  しかし、見ていた孫が満足したわけではなかった。自分も こ

のディズニーの愛は 一般的な日本人が抱く愛とは違うものだと思った。

娘にはストーリーもテーマも ディズニーの映画は昔と同じだなあと言っ

た。 

2014年6月18日水曜日

医療の需要と供給

医療の需要と供給

 たくさんの方が 医療の供給を望んでいるように思う。 そして 日本全体が 医療の供給が足りないと 思わされている。

 妻が癌の治療で抗がん剤や大量の麻薬でろれつが回らなくなっている。それを夫が病室で看病している。 癌の治療はこんなものなのだとかなりの人が思い、自分の家族が癌になったら自分もそうしなければならないと思っている。 それに応じる病院の医師。 
  
 アルツハイマー型認知症に夫がなったとき 激しい周辺症状を想像してしてしまう。 落ち込んでしまう妻 あるいは 出来なくなったことをけなしたり逆に極端に励ましたりする妻。 簡単に 薬を増やす医師。

 高齢になるほど 高血圧症、高脂血症、動脈硬化関連の疾患、掻痒症など皮膚疾患、 加齢に伴う目、耳の疾患、 いろんな部位の悪性腫瘍がふえていく。 ついついお薬を増やし やめることを忘れている医師。

 本人、家族の希望も聞かずやたら入院をさせて治療しようとする医師。

 状態の変化にたいして医師の説明を受けていないので 不安だけが募り 入院を希望する本人 あるいは 家族 それに従う医師。

 見つけて治すことばかりに重点がおかれた癌の政策。 

 ケアマネージャーや看護師が十分働いていれば 医者の仕事は少しで済む。 病状のチェック病態の把握、予測、説明、診断書の作成などが主な仕事 治療そのものに医者が働く事はない。

 以上のことを改善し、人々の同意が得られるならば 医療の需要も供給もへり、医師不足もなくなり、医師の所得もうんと減るだろうと思う。

 医師はたくさんの方の 生死を見てきている。  ある程度としがいった医師は自分の既得権益をすてて、ひとびとの生死の提案のすべきではないか。

大乗仏教がなぜ 始まって なぜ 広まったのか。

大乗仏教がなぜ 始まって なぜ 広まったのか。

”座標軸としての仏教学 ” 勝本華蓮 著 110ページ

 ーーーー大乗仏教は経典制作をもって始まったといわれる。釈尊の教え

はもともと、口伝、暗誦するものであったが、パーリ上座部では紀元前1

世紀頃から書写されるようになった。ところが、大乗経典は最初から書か

れることによって始まったという。 ひとくちに大乗経典はといってもそ

の内容はまちまちで、般若経はーーー 浄土経典はーーー法華経はーーー


私の考え方

1.お釈迦様生きていた時代文字はあったと思われるがなぜ 文字として

著さなかったのだろう。

2.出雲の神社の教えの継承は口伝えないし無言 と 出雲大社の本に書

かれていた。 また アイヌ語は文字がない。  小さな人の集団が大き

な人の集団から逃れ 生き延びていくには 文字は邪魔になるのかもしれ

ない。 

3.真理が存在していると思ってしまったために それを証明する理屈が

必要となった。

4.お釈迦様の教えを実行していくのに 弾圧が加えられた。 それをは

ねのける理論武装が必要であった。

2014年6月16日月曜日

西大寺に行った。

現代戒想 という本の中で 僧と戒律にもっと真面目に取り組んでいる 宗派が 真言律宗と思われた。その寺が西大寺だ。   そこで 本を買った。
” 真言律宗独立認可百周年記念 近代の西大寺と真言律宗 宗派の独立とその後  ”

密教と戒律をしっかりふまえた 真言律、 神仏分離令、廃仏毀釈、国家神道中心という厳しい環境、 奈良時代から近世近代、現代までの 国家と仏教の関係    たくさんの キーワードのある本 の 様に思う。

2014年6月14日土曜日

正信偈について

帰命無量寿如来


南無不可思議光


この文句で始まる正信偈は子供の頃より町中から
きこえてくるものだ。 町の共同体の帰属意識を
高めるおまじないのようなものだった

意味のわからないことを言うのはいやだった。 仏教の勉強をしてきて やっとこの正信偈の意味を
知ろうと思うようになった。  無量寿如来や不可思議光という結論ありきの 偈 だ。 親鸞がなぜ
そう考えるようになったか 知らなければならない。  一方ダンマパタに書いてあることは真理に
近づく考え方や行動の仕方 教え が 書いてある。決まった結論を信じなさいとは書いていない。
身近な人なくなったときの儀式には 正信偈は必要だけれど 物質的に満ち足りたこの日本に日常的に 
正信偈が必要ではないと思われる。憎しみの連鎖が起きている現在にはダンマパタに書かれている
教えが必要である。  結論ありきの考え方では憎しみの連鎖は切ることが出来ない。

2014年6月12日木曜日

法句経

6月8日 なら興福寺付近を散歩。法句経の文字が目にとまった。
法句経の教えはいつ頃から日本の中に浸透しているのだろうか。 本を読んでいると素直に入ってくるし、子供の頃からいろんな人から言われていることのようにも思う。
本 日常語訳 ダンマパタ 今枝由郎訳
  法句経講義 友松圓諦
  原訳 法句経 Aスマナサーラ
  ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元訳



2014年5月10日土曜日

十代のきみたちへ ぜひ読んでほしい憲法の本 日野原重明 著

十代のきみたちへ ぜひ読んでほしい憲法の本 日野原重明 著 冨山房インターナショナル

 2014年5月3日発行


はじめに  ーーーよく考えずに、その場のいきおいだけで憲法をかえてしまい、そのせいで

平和が失われたり、いのちが粗末にされたりするのでは困ります。日本の憲法は、みんなのい

のちを守っているのでということをよく知って、それから話し合いに望むべきだとわたしはお

もいます。ーー わたしは百二歳まで生きてきましたが、まだまだ毎日が勉強の連続です。ー




 私は昭和53年研修医のとき、日野原重明さんの訳された診断学の本をよく読んでいました。

それから35年がすぎて 日野原重明さんの本を読むことが出来ました。 
 考える、勉強する、話し合う このことをずっと実行されておられることがわかりました。

2014年5月9日金曜日

ブッダの変貌 2014年3月31日 法蔵館 発行

ブッダの変貌 2014年3月31日 法蔵館 発行 
編者 末木文美士 林淳 吉永進一 大谷栄一


この本の 総論 近代仏教と学知 8頁  ーーーー19世紀後半のヨーロッパ仏教学者が語り

出したブッダは、信仰対象から離れて、歴史的に存在した理想的な人間ブッダであり、このブ

ッダのイメージが、今度はアジアの仏教圏に広がっていく。ーーーー


 日本の浄土信仰と歴史的に存在した理想的な人間ブッダの関係を教えてくれる本として期待している。

2014年4月9日水曜日

このブログを通して、自分は何を勉強したかったのか

このブログを通して、自分は何を勉強したかったのか。 今枝由郎さんのスッタニパータ と ダンマパダを日本語訳を読んでわかってきた。 これらの本にはブッダの教えがわかりやすく日常語で書かれている。 ブッダが紀元前5世紀頃の世の中、人々の営み、苦しみをみて、聞いて考え抜いたことが書かれている。 論理の矛盾なく、信じ込む作業もなく、自然と導かれる言葉が書かれている。 それを理解し実行していくのとが大切なことである。しかし、自分で考える部分がほしい、ブッダの言うことだけに頼りたくないと言う気持ちもある。 また、自分で考えても、結局はブッダの言うことにたどり着くだろうとも思われる。 孫悟空がおしゃかさまの 手のひらに乗っかっていることと同じ事かな。

ブッダの教えを 後世につたえるために 出家という 人たちが必要だったのかもしれない。その人たちが ブッダの教えにいろいろ修飾したために分かりにくくなったかもしれない。 何万回と念仏を唱えても ブッダの教えを理解できないし、実行も出来ない。 考えのない瞑想を何万時間行ってもブッダの教えを理解できないし、実行も出来ない。

 これからの勉強はブッダの教えを更に知ること。 修飾がいつ、誰によって、何のために入れられたかを知ること。

仏教年表1

紀元前5世紀  インド北部 サキャ王国 一人の王子誕生 ゴータマ シッダールタ
        29才の時 男児が生まれた後 王宮を出る
              6年間修行 思索
        35才 あらゆる苦しみを超越する真理に”目覚めた人(ブッダ)”となる
        
            ガンジス川中流域の各地を巡り歩いて、自分の発見した真理をとい                    てまわる
        80才 死亡

        死後暗唱しやすいように 口承で詩的なかたちにまとめられた。

         パーリ語大蔵経 ”クッダカ ニカーヤ(小部)” に スッタニパータ  と                           ダンマパダ が収録されている 
                ダンマパダ 真理の言葉 偈(詩の形) 一人の編纂者 中国の伝承で                           法救(ほっぐ) インドDharmatra-ta 

                スッタニパーダ 個々に独立して伝承されていたさまざまなテクスト(ス                             ッタ)を集めて 5部に分類したもの。経蔵の原形。         

 新編スッタニパータ 今枝由郎訳 トランスビュウー社 の まえがきより

2014年3月29日土曜日

ダンマパダ ブッダの真理の言葉 今枝由郎訳 トランスビュー 発行

ダンマパダ ブッダの真理の言葉 今枝由郎訳 トランスビュー 発行

 あとがき 
ーーーー今回、仏教の『聖書』とも見なされるパーリ語『ダンマパダ』

を翻訳することになったが、ーーーー 従来の日本語訳があまりにも難

解で、一般の人には読めなくはないにしても、とてもすんなりと読める

ものではないと思われたからである。この思いは、『ダンマパダ』に限

らず、他の仏教テクスト全般に関しても、以前からずっと抱いていたも

のである。ーーーー

 これから ほかのものも この方に訳してほしい。

 45ページ 46ページ
人は多いが
向こうの「安らぎの」岸に渡る人は少ない。
多くの人は
こちらの「苦しみの」岸でさまよっている。

 ここは阿弥陀仏や浄土の考え方の始まりなのかもしれない。

2014年3月26日水曜日

アマルティア・センの考え方

アマルティアセンの考え方について

普遍的価値としての民主主義 と言う章のなか

の 文章(ページ123)
ーーーその点をはっきりさせるために、私たち

は方法論にかかわる問いから始めましょう。普

遍的な価値とは何であるのか? ある価値が普

遍的であるとみなされるためには、すべての人

々の合意が必要なのか?という問いです。
 もしすべての人々の合意が必要とされるなら

ば、普遍的な価値というカテゴリーは中身が空

も同然です。なぜならば、これまでに誰も反対

したことのない価値など私は知らないからです

。あるものが普遍的な価値を持つとみなされる

ために、すべての人々による普遍的な合意は必

要でないと、私は論じたいと思います。 ある

のもに普遍的な価値があるという主張は、世界

中の誰もがその価値を認める理由があるにちが

いないと言うことなのです。ーーーー

 難解な文章ですが、センの考え方の基本だと私

は思っています。 普遍的な価値は最初から存

在しているものではない。議論や経験や考える

ことによって普遍的な価値ができあがるものと

言っていると 私は理解しています。



2014年3月7日金曜日

Windows Azure エンタープライズクラウドコンピューティング 実践ガイド 日経BP社 発行 の 感想

Windows Azure エンタープライズクラウドコンピューティング 実践ガイド 日経BP社 発行 の 感想


 京都市の防災は  自主防災の名の下に避難所の自主運営に力点が置かれている。それで良いのだろうか。 避難所を利用する災害は ごく一部

の地震のみでは無いかと思われる。 さらに 避難所を運営する人々が高齢で 避難所行けないほどに被災していることも考えられる。  

 この本の中には防災に関してあらたに取り組めるであろうヒントがたくさん書いてある。

 P12  ーーだが2011年の東日本大震災をきっかけに状況は一変する。東京に一極集中するデータセンターのリスク分散が叫ばれ、婦ブリック

クラウドに注目が集まったので。2011年3月にAmazon Web Services(AWS)が ついで12月にSalesforce.comが日本にデータセンターを開設す

ると バックアップインフラとしてのパブリッククラウドの利用が急速に普及した(日本マイクロソフトは2013年に日本データセンター開設を

発表している)。国内におけるパブリッククラウドの当初の利用用途は、ミッションクリティカルなシステムでは無く、個人情報に無関係な情報提

供やコンテンツ配信が中心であった。    。。。。。。。。P16。。  そして、ハードウエアの導入、管理から解放されたインフラエンジ

ニアは基幹システムにおいてもクラウドの利用を検討する。   。。。。。 OS,ミドルウエア以下のレイヤーの管理から解放されたエンジニ

アやプログラマは サービスアプリケーションの開発に専念することが許され、システム開発における生産性は飛躍的に向上する。


P58 ビッグデータ      企業活動だけで無く、政府や自治体、公共目的での社会利用、学問的見地からの利用もふくめ、積極的に利用し

ていこうというムーブメントがビッグデータの意味するところである。 。。。 常に持ち歩いている携帯電話やスマートフォンの位置情報を用い

れば、人の動きを分析することが可能だ。。。。。。 従来の閉じた企業内のネットワークを利用した情報処理と大きく変わったのは、インターネ

ットが電力や水道と同じようにコモディティー化、社会インフラ化したことだ。


 クラウドについての専門的はことは 本を読んで勉強してください。 ヒントは エンジニアやプログラマが 防災システム開発に入ってこれる

と言うこと。 ビッグデータを防災システム開発に利用できることです。

 私自身は gmail hotmail カレンダー skydrive(onedrive) facebook evernote スマートフォンのGPS amazon の利用者です。 



2014年2月24日月曜日

民主主義を思い出させてくれた。アマルティア・セン 著 大石りら訳  貧困の克服

自分は中学、高校と民主主義についてしっかり学んでいた ことを 思い出させてくれた。


 アマルティア・セン 著 大石りら訳  貧困の克服 アジア発展の鍵は何か 集英社新書

  を 読んでいる。 103ページ ーーーーー 実際に民主主義が政治システムとしてうまく機能するようになるまでには、1215年のマグナカルタ(大憲章)の調印から、18世紀のフランス革命やアメリカ独立戦争、19世紀のヨーロッパや北アメリカにおける市民権の拡大にいたるゆるやかな発展を続けて、最後に勝利をおさめることが可能となったのです。ーーーー

 
 ここの部分は社会科、倫理、歴史、政治経済で 何度も学校で習ったものだ。 また 小学校から代議員会や児童会 生徒会など 徹底して民主主義の教育をうけてきたはずだった。   自分自身 高校生ぐらいまでは 民主主義的でないものにであうと素速く反応をしていたように思える。  しかし、いつの間にか 非民主主義的である出来事に頭の中が慣れきってしまっている。


 1.学生運動とその解決方法、マスコミの反応 世間の忘れ方の早さ

 2.国会中継がテレビで見れるようになった。選挙で選ばれたものがこの程度の発言やおかしなパーフォーマンスしか出来ないのかとのあきらめ。 昔はこんな非民主主義的は状態を子供にはみせたく無いとも思ったが、今では選挙で議員を選ぶことそのものがむなしく感じている。

 3.憲法解釈すら議論を尽くさず簡単に変えることができると思っている 選挙で選ばれた人が首相となっている。

 4.学校では 警察が入らないことが民主主義と勘違いしていた人がたくさんいた。 人権無視、秘密主義 権威主義的教育を行っている人がたくさんいた。


 5.経済発展に目を奪われて非民主主義的、権威主義的 政治にあまり嫌悪感を抱かず、その経済のおこぼれを頂戴すればよいと普通に考えてしまう人がたくさんいる。


 おかしなことはたくさんあるのに、頭の中を素通りしてしまっている。 民主主義は良いかと考える前に 民主主義を忘れていた自分だった。

 アマルティア・センはそれを思い起こしてくれた。