2011年5月10日火曜日

日光の写真

伊達家からの寄進・お札・眠り猫・神社も寺葵の御紋

日光に初めて行って感じたこと

日光を観光バスで回った。最初に中禅寺でお坊さんの上手なお勧めがあり、有機系の温度などによって変わる発色剤の入ったお守りを2千円でかう。
 ほかの方もたくさん買った。 その後日光山輪王寺でお坊さんのお勧めがあり そこにしかない鬼門除け札を数千円で買って欲しいと。

 そこでは、観光バスのお客のなかで1人だけ買ったようだ。 みなさんは、霊感商法だと気づいたようだ。 その後東照宮へいった。生まれ年の十二支に見合った仏さんがある。

 それをお守りに買ってはどうかとのお坊さん?のお勧めがあった。 もう誰も買わなかった。

日本式仏教の終末のなごりを見る思いがした。  政治と仏教が完全に結びついてしまった。土着の信仰、神さん、儒教、陰陽すべてがごった煮になった時代。

 祈り、願い、御利益が混ざった時代。  支配する武士、支配する仕組み宗門、檀家、坊主の退廃、お金、欲 それらが目に見える形で

"日光"が存在している。   幕末から明治初期にかけて 国学、新しい神道 廃仏毀釈 その後に残った新しい寺と神社、氏子と檀家、戦争まで突っ走った。

 その後に形を変えた 葬式仏教、御利益、霊感商法の寺や神社。    お守りを売りつけられると、哀れになってきた。 

世界遺産を維持するために お守りを売り続けている 坊さんや神社の従業員がいる。