2018年3月5日月曜日

新ビルマからの手紙 アウンサンスーチー

土佐桂子 永井浩 毎日新聞外信部 訳 毎日新聞社 2012年3月20日 発行

まえがきに 
 敬虔な仏教徒として、慈悲の精神が実現する未来を めざすスーチーさんたち

 とある。
2012年の 日本の常識的な まえがき である。スーチー ビルマ 仏教 慈悲の精神 と 単純に結びつけてしまう。これが 日本の常識だったように思う。
 この本を読んでいると スーチーさんが仏教徒であることがわかる。しかし、ビルマの仏教と 日本の仏教は 異なる。ビルマの仏教のなかに 慈悲の精神が 存在するかどうかも わからない。 また、別のことだが 宗教対立について書いたところがある。 p36 伝統的にマンダレーの仏教徒とイスラム教徒は仲のいい関係にあったので…… 私は、宗教対立が おそらくある種の政治的意図をもった者によって仕組まれたのではないかという点ではまったく同意見であるが、……。

在家信者とわかるところ
p65
 今年、私の父と八人の同僚の暗殺を記念する 殉職者の日は 仏教徒の 雨安居うあんご の 開始を告げるビルマのワーゾー月の満月と重なった。国民民主連盟NLDは、50人の僧侶に食べ物と僧衣を寄進摩るための儀式を執り行い、亡くなったものと後にのこされたものが 功徳を 分かち合った。
 p66
それは 定めある万物に共通する三つの相、すなわち 無常 苦 無我と 無常 苦 無我が 終滅する、定めなき純粋な境地である涅槃について熟考する機会をもたらしてくれる行事だった。

毎日新聞記者や多くの日本人が 抱く 仏教 慈悲の精神 あるいは 慈悲は愛に優っていると思ってしまっている 考えは いつ頃からどうやって日本に浸透していったのだろう。