2021年6月16日水曜日

ふと 思った。

 少し前まで自己中の方が多かった。何かうまくいかないとどうしようもない独りぼっちだという感覚を抱く人が多かった。

しかし、最近は少し変わってきているのでは ないだろうか。

1.おかげさまで。いただきます。と 生きていたもの、生きているものを いただいていることが 盛んに言われるようになった。

2.プラスチック汚染を自身が行っている。そのため 生物の相互依存環境が失われて言っていると 毎日のように報道されている。

3.地球温暖化を自らの消費活動が進めている。欲望によって地球破壊活動が簡単には元に戻せないことがわかってきた。


などなど 地球上で 大きな生物の中の一つの塊として存在しているに過ぎないと 感じるようになってきた。 そのため 逆説的に 絶望的な孤独感は 感じなくなってきているのではないか。

2021年6月1日火曜日

本 善の研究 西田幾多郎著 岩波文庫

 慈悲や愛情など影響された 現代の日本仏教を 形成していった人々 鈴木大拙、和辻哲郎、倉田百三 などに 大きな影響を与えた 西田幾多郎のことを 知りたかった。 そこで まず 代表作 善の研究 を 読むことにした。

 第一章から 難しい言葉が並ぶ。心理分析だ。  

p18

 しかし これらの知識は正当の意味において経験ということができぬばかりでなく、意識現象であっても、過去についての想起、現前であっても、これを判断した時はすでに純粋の経験ではない。真の純粋経験は何ら意味もない、事実其の儘の現在意識あるのみである。


  私 ここんところは 無常の説明と言っても良いのではないか。

p18

 右にいった様な意味において、いかなる精神現象が純粋経験の事実であるか。感覚や知覚がこれに属することは誰も異論はあるまい。しかし、余はすべての精神現象がこのかたちにおいて 現れるものであると信ずる。 。。。。。しからば情意の現象は如何というに、快、不快の感情が現在意識であることは言うまでもなく、意志においても、その目的は未来にあるにせよ、我々はいつもこれを現在の欲望として感ずるのである。

 私 ここんところは 眼耳鼻舌心意 、五蘊、さらに 色 の 説明と言ってもよいのではないか。  西田幾多郎の生きた時代、初期のブッダの教えが 広まっていたかどうか わからないが 西田幾多郎は自分の思索から上記のことを 発見していったのではないかと 思われる。