2013年10月26日土曜日

五戒を実行すると良いかもしれない

頭が鈍って本を読んでいてもなかなか理解できない。先に進まない。考えもまとまらない。
五戒を実行すると少しは進むのかもしれない。

2013年10月25日金曜日

学者ジャーヴァーリとブッダの考えかた

議論好きなインド人 アマルティア・セン 明石書店  の まえがきより


【 ーーーラーマーヤナーーー のなかで、かなりのページが割かれる一人の学者ジャーヴァーリは、ラーマを神として扱わないだけではない。ラーマの行いは「愚かなもの」、かれの言葉では「とりわけ智者、賢者にとっては、ふさわしからぬ」ものとされる。物語でジャーヴァーリは説得に応

じてこの非難を取り下げるのだが、そのまえにかれは「来世などなく、そこに到達できるがごとき宗教的実践など存在しない。神の崇拝、供犠、贈与、刑罰についての掟、これらはすべては、もっぱら人々を支配せんがために、狡猾な者どもによって経典に定められたのである」と、ながながと

主張を披瀝する。】


 ブッダは様々な賢者と出会っている。ブッダの考え方は この学者ジャーヴァーリと近い。   驚きである。  人間の考え方は、多様で今の時代と異なるものではないと 気づかされる。 この本も、ラーマーヤナもかじりばかりで、深く考えることができない、自分が情けない。 

2013年10月9日水曜日

藤本 晃 さんの親鸞聖人と阿弥陀仏の関係

70ページ  親鸞聖人は 自然法爾の事 の中で阿弥陀仏の本質を、人格を持つブッダというよりは、この因果法則=ブッダの悟りそのものとみているようです。その内容を、まず原文でみてみましょう。 
、、、、、、、、 現代語にして、見てみましょう。 無上仏というのは、姿形もないものです。姿形もないから、自然(じねん=因果法則)というのです。姿形があるものとして示すときには、無上涅槃とはいいません。姿形もないあり方を知らせようとして、はじめて、阿弥陀仏というのだと 法然上人から 聞き習ってきました。阿弥陀仏とは、自然(じねん=因果法則) の あり方を知らせるための料(方便)なのです。


親鸞聖人の考えた ブッダと阿弥陀仏について明確に書いてあります。     

 わかったような気がします。 阿弥陀仏、真理、神、が同じものだと思えてきます。 人間が本当に知りたいことだと思います。  ブッダは真理がわかった、最初で最後のひと。なのか。
 
 しかし、ブッダは真理があると言ったのかどうかわからない。 真理を求める方法についてはたくさん言っているが。