2021年8月29日日曜日

タリバンのヒジャブ、オリンピックにおけるLGBTQ 性についての考え直し、提言が盛んだ。

 仏教においての性について述べてみたい。以前に マハーパジャーパティーという本を紹介した。その本にブッダの女性についての考え方がはっきり書かれている。

まず 一般的なこと。 

仏教サンガは男 女は別々。比丘集団と比丘尼集団は別。 日本の浄土真宗の寺はほとんどが世襲性。つまり僧侶は結婚をして子供をつくり子供に寺を継がせた。 一方明治以前の寺、僧侶は男色が当たり前でそれが正常で異常ではなかった。稚児を可愛がる僧侶は当たり前のことだった。

五戒にあるように在家者はむやみに性行為はしてはならないと理屈なしにブッダは言っている。出家者は律に頭から決まっているように性行為が禁じられている。勉強するのに性欲は邪魔なのだ。

仏教は教えを後世に伝えるためには サンガに提供する子供を在家に提供してもらわざるを得なかった。在家はストイックではない。のだ。

ブッダは因果の法を教えて、その逆も教えて欲を消す方法を提示している。 しかし、その方法を使っても性欲を消すのは困難だったのではないだろうか。だから五戒の中にむやみに性行為はしてはならないという項目をいれたのではないだろうか。と わたしは思っている。


このマハーパジャーパティーの本に書いてあることを紹介したい。

マハーパジャーパティーはブッダの養母だ。ブッダの実母は早くになくなっている。ブッダの教えを勉強したいとマハーパジャーパティーはブッダに懇願する。比丘集団を作っていたブッダは男の中に女が入るのは絶対にだめだと断る。何度も何度も懇願するがブッダは断り続けた。その部分はとても感動的な記述だ。 それを見かねたブッダのいとこで養母のこともよく知っている尊者アーナンダは ブッダを諭す。  そして ブッダを条件付きで比丘尼集団を作ることを認めるのだ。  

以上 仏教は男女、性欲は必要なもので消せないあるもので、差別するものではないと考えている。




2021年8月24日火曜日

ふと思った。ガザーリーがスーフィーに入っていった事 と 信仰 仏教を勉強すること と 信仰

 ガザーリーは12世紀イランイラク地方のイスラム神学校の最高権威の先生。オピニオンリーダー。 広まり始めたビザンツ、ギリシャなどから哲学。これがイスラム教に入り込む状況にあった。 先生でありながら 神に対する自身の信仰心に互いを持った。 だから 信仰心を持つ事によって神と一体化し神を理解するという スーフィーに入ったのではないだろうか。 私は仏教について勉強しているが、仏教徒ではない。阿弥陀も観音も弥勒も薬師も信じているわけではない。 信仰心がないと言われてはそれまでだが。  もとの仏教には信仰心はいらず 阿弥陀や観音、弥勒、薬師は信仰心がいるからだ。 もとの仏教を信じるには闇雲に信じるてもしょうがない。勉強することによって近づいて行くのではないかと信じている。

2021年8月21日土曜日

国境なき医師団のニュースレター

 

家族の支えがあるからこそ  という言葉

サンガに参加する、出家する、具足戒を受けるとき

必要条件の一つ

 あなたは両親の許可を得ていますか。


それと とても良く似ている。国境なき医師団に参加するというのは出家することよく似ている。