2015年9月12日土曜日

鑑真と戒律

唐招提寺に行った。たくさんの中国の親子ずれが鑑真の廟にお参りにきていた。親は子供に鑑真について説明をしているように見えた。岩波新書の 鑑真 という本を そこで買った。その中には 鑑真が日本にやってくる いきさつ、 日本の仏教の状況 政治と仏教の関係、唐の仏教の状況 政治と仏教の関係、 中国の仏教の戒律の位置づけ、鑑真が日本に持ってきたもの 戒、律が日本のどこに広がっていったのか、利用されたのか、変化していったのか、 唐招提寺の建立のいきさつ、鑑真の唐招提寺に込めた思い 戒律が日本で変化せざるをえなかった状況 などが書かれている。
 聖徳太子が日本を仏教と和で納めようとした政策が 大仏開眼でほぼ完成した時期に 日本があったと思われる。 仏教の精神は続けたいが、僧が政治に介入してほしくないという 王族の中央集権国家 の 考え方があったのだと思う。  しかし、その後 僧の政治介入は増大していって 奈良時代おわり、京都に政治の中心を移さざるをえなくなる。 仏教の鎮護国家は継続することになる。 しかし、仏教そのものは 空海や最澄によって 鎮護する役割は果たしつつも 仏教そのものが個人の内面に向かっていく。 仏教教団のなかで 規則 である律 戒も 変化していく。 密教についてこれから勉強していく 予定だ。しかし、チベット密教と日本仏教の違いについて考えると 日本仏教の歩んできた方向がわかるのではないかと思っている 。  膨大な戒律を実行していくと 輪廻から離脱することができる という考え方。 国家を救うという考え方から 苦しんでいる人を救うと いう考え方に 変化していく。 鑑真の伝えた戒律を実行しても、苦しんでいる人を救うことはできない。 大乗仏教の戒律の精神面だけとって、後は自分でよく考えよ さらには 戒律もなく 阿弥陀仏に すべてを まかせきる ところまで 進化を遂げていく。

 戒律まで必要としない、日本の精神性はどこから来ているのだろう。