2021年12月13日月曜日

信仰と日常の不連続性について 本:コーランには本当は何が書かれていたか?カーラパワー著 秋山淑子訳 文藝春秋 を 読み始めて気づいたこと。

 いままで いろんな 宗教の本を読んで来たが 宗教と日常の不連続性指摘する作者が 多かった。この本の著者 カーラパワーさんは コーランを知るためにモハンマドアクラムナドウィー師と対話を始めるが 信仰と日常の 不連続性について 文化的な衝撃を受け悩み始める。自分の悩みについてこの本の序章に正直に書かれている。

 私は思った。今までも 信仰と日常の不連続性について 沢山の人が悩んだり指摘したり説明したりしていたことに 気づいた。作者本人が気づかないまま 書いている人、意図的に物語を作って 説明をするひとも いた。 と 思った。


あらためて箇条書きにする

  • 科学と宗教と死 集英社新書 加賀乙彦

  • 最後の親鸞 ちくま学芸文庫   吉本隆明
  • 科学者はなぜ神を信じるか BULE BACKS 集英社 三田一郎
  • ブッダからほとけへ 岩波書店 立川武蔵
  • 大乗非仏説をこえて 大乗仏教はなんのためにあるのか 国書刊行会 大竹晋
  • 科学化する仏教 角川選書 碧海寿広
  • わたしの信仰 新教出版社 アンゲラ・メルケル
  • 世親 講談社学術文庫 三枝充悳
  • 科学の終焉 ジョンホーガン 徳間書店
  • 涅槃経を読む 講談社学術文庫 田上太秀
  • 倶舎 自照社出版 青原令知
  • エチカ 岩波文庫 スピノザ
  • 龍樹  講談社学芸文庫 中村元

上記の本について 難解でほとんど読み切れていない。

またアーナンダの 逸話 ウィキペディアより引用
出家後、釈迦が死ぬまで25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていた。そのため釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞きよく記憶していたので「多聞第一」といわれ、第1回の仏典結集には彼の参加が望まれたが、当時結集への参加資格であった阿羅漢果を未だ得ていなかったので、釈迦の後継者であった摩訶迦葉(まかかしょう)は、阿難の参加を認めなかった。そのため彼は熱誠を込めて瞑想修行を続け、あるときその疲れから寝具に倒れ込んだ拍子に忽然と悟り、ついに阿羅漢果に達したという。ときに仏典結集当日の朝のことであったという。

も 信仰と日常の不連続性の 一つの現象として捉えることが出来ると思う。 

さらに 無常は日常の頭で理解できるが 空は なかなかピント来ない。 詭弁で説明している本もあるが 嘘をついているように 思えてしまう。  
これからだ。

2021年12月11日土曜日

ブッダが亡くなったあと 仏教は変化し続けた。と 私は思う。結集が行われていたにもかかわらず。と 私は思う。

 有名な倶舎論 煩悩に対して良い心を持っている 人に楽を与えるとか苦しみを取り除くとか 慈悲について 論じている

有名なアビダルマ 善い心も悪い心もある と 言っている。

有名な本願 阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩は、人が救われなければ 、自分は悟りが開けそうになっても 悟りをひらかないと誓いを立てる。


どれも 善いとか 悪いとか 人に何かする特に慈悲を施すとか 人のために自己犠牲を払うとか、 死んだ後も別の世界に居場所があるとか 述べている。

ブッダの教えは 人のためのものではなく 自分が真理 法を求めて 勉強しろといっているだけ。 人のことを考えるのは お布施や食べ物をもらうときだけ。自分の教えを維持するために 新たに他人を仲間に引き入れるときだけ。 死んでからのことは わからないので 考えない、妄想はしない。 善いとか悪いとかは 人の尺度であって真理 法とは無関係。 酒や性欲は 勉強の邪魔。 人や自分を殺すなど もってのほか。因果を勝手に変えてはいけない。 など と いうのが 私の考えるブッダの教え。

2021年12月10日金曜日

本 仏教の考古学 上巻 下巻 坂詰秀一 著 雄山閣 2021年11月25日 初版発行

 

「佛教の秀吉降 下巻佛教の考古学上卷

仏教考古学が示すこととは何か? 伽藍・瓦・塔・板碑・墓標・仏像・ 仏具など多彩な仏教考古学の資料か ら、仏教信仰の歴史を明らかにする

仏教考古学からわかることとは何か? インドや日本の仏教遺跡の発掘調査 や出土した遺物の研究から、 仏教の歴史や人々の信仰を紐解く」

上の引用は本の表紙をスマホを使って googleの新しいOCRが読みといた ものである。

仏教の考古学的な資料の蓄積は すごいものがある。そして 、この方の 収集能力と考察もすごい。この本は2021年11月25日 初版発行である。

一方 最近の 染色体DNA ミトコンドリアDNAの 解析、AIを使った画像解析、 文字データの 検索など、 以前とは比べ物にならないほど 道具が充実してきた。 これからは 今までに蓄積された考古学研究をもとに これらの 技術を駆使しながら さらなる 仏教研究が 発展することが期待される。  いままで 想像でしかなかった 証明しがたい考察が より はっきりと してくるのではないかと期待される。


2021年12月5日日曜日

ブッダの教えの変化 インドに於いて 中国に於いて

 インドに於いては 仏教のヒンドゥー化 がおこった。 ブラフマン中心のご利益、奇跡が大変人気があり、真理しか言わないブッダの教えに 満足しない大衆がいた。 それに仏教集団が迎合していった。


中国に於いて 同じ頃に起こった仏教と儒教ではあるが、孔子の実利的な教えに 対抗するかのように 、当初は小乗、大乗ともに中国に伝わったものの、救済、慈悲の教えである大乗仏教の人気が高くなった。真理しか言わない小乗仏教は消滅していった。 孔子の教えに対抗するかのように 沢山の宗派できていった。 大乗起信論、天台宗、密教、禅宗などなど、阿弥陀仏、観音、弥勒、などなど、


わたしの 妄想です。

孔子の教え ブッダの教え

 孔子の教えは 科学技術

ブッダお教えは 科学

孔子の教えは 人を幸せにすることも不幸にすることもある

ブッダお教えは 人の幸せや不幸について 述べてはいない


2021年12月1日水曜日

本 NHK100de名著 論語 孔子 佐久協 NHK出版

 再び 孔子とブッダの違い で 気づいたこと

P102 朝に道聞かば、夕べに死すとも可なり。

とても有名な言葉です。正しいことが行われていたら 死んでもかまわない。と 孔子は言っています。

 一方ブッダは道なんて、政治なんて所詮人間の考え出したことだ。 在家から相談を受けた時に 答えれば済むこと。死なん決して自分が決められることではない。死後の世界なんて 考えてわかるものではない。 生老病死の因果の法を 求めることが 重要であって 生き方を考えることはない。  そのように 思えます。


全く違うでしょう。違うというか 次元の 違いのように見えます。孔子は3次元4次元の話。ブッダの話は5次元かもしれません。

2021年11月28日日曜日

本 NHK100de名著 論語 孔子 佐久協 NHK出版

 今思い出した。 孔子の教えを 実行すると 良い人 良いリーダー 良い教育者に なれるかもしれない。

一方ブッダの教えを 実行しても 良い人にはなれない。 働かないし 結婚もせず子供も作らない。食べるものは乞食してもらう。

これが 孔子の教えとブッダの教えの 最も違うところだ。

本 NHK100de名著 論語 孔子 佐久協 NHK出版

 孔子も中庸 ブッダも中庸 孔子は弟子にはのらりくらりの説明 ブッダは対機説法

よく似ています。 

孔子は現実について 話しています。ブッダも話すのはこの世のことばかりです。形而上学なんてもってのほかです。 これも似ています。

P47   衆これを悪む(にくむ)も必ず察し、衆これを好むも必ず察す。

     現代のマスコミのいい加減さを言っているようです。

p49  学んで思わざれば則ち罔し(くらし)。思うて学ばざれば則ち殆うし(あやうし)

     知識を埋め込むだけではだめだし、勉強はしないで考えてばかりもだめ。 どこかの誰かさんのようです。



2021年11月27日土曜日

孔子の弟子、ブッダの弟子 それぞれ 有名どころがいる。 NHKブックスやウィキペディアなど 色々なところに書いてあります。

弟子がいないと 教えは広まりません。現代にも伝わりません。


孔門十哲 ウィキペディアから引用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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孔門十哲(こうもんじってつ)は、「孔門の十哲」「四科十哲」ともいわれ、孔子の弟子の中でも最も優れた10人の弟子を指す。



目次

1 一覧

1.1 徳行

1.2 言語(弁舌の才)

1.3 政事

1.4 文学(学問の才)

2 孔門十二哲

3 関連項目

4 脚注

一覧

子曰、從我於陳・蔡者、皆不及門也。徳行、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏。

— 『論語』先進篇

より、4つの科目(徳行・言語・政事・文学)の計10人。


ただし、曾参(曾子)や子張といった面々が入っていないため、あくまで陳や蔡に孔子と一緒についていった者たちから選んだのだとする説もある。また、挙げられた名前が諱ではなく字(あざな)である点から、孔子自身が選んだ人選ではなく、第三者による撰であるとするのが定説である(孔子ならば弟子に対しては字ではなく諱で呼ぶため)。


徳行

顔淵(がんえん)(顔回(がんかい))

閔子騫(びんしけん)

冉伯牛(ぜんはくぎゅう)

仲弓(ちゅうきゅう)

言語(弁舌の才)

宰我(さいが)

子貢(しこう)

政事

冉有(ぜんゆう)

季路(きろ)(子路(しろ))

文学(学問の才)

子游(しゆう)

子夏(しか)

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ブッダの十大弟子 ウィキペディアより引用

経典によって誰が十大弟子に入るかは異なるが、維摩経弟子品では出家順に[要出典]以下の通りである[1]。


舎利弗(しゃりほつ)

パーリ語でサーリプッタ (Sāriputta、सारिपुत्त)。サンスクリット語でシャーリプトラ(Śāriputra)。舎利子とも書く。智慧第一。

般若心経では仏の力を承けた観音菩薩の説法の相手として登場。また、阿弥陀経では仏の説法相手として登場するなど、多くの経典に登場する。

摩訶目犍連(まかもっけんれん)

パーリ語でマハーモッガラーナ (Mahāmoggallāna、महामोग्गळान)。サンスクリット語でマハーマウドガリヤーヤナ (Mahāmaudgalyāyana)。 一般に目連(もくれん)と略称される。神通第一(じんずう・だいいち)。

舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会』(うらぼんえ)の起源だとしている。

摩訶迦葉(まかかしょう)

パーリ語でマハーカッサパ(Mahākassapa、महाकस्सप)、サンスクリット語でマハーカーシャパ(Mahākāśyapa)。大迦葉とも呼ばれる、頭陀(ずだ) 第一。

釈迦の死後、その教団を統率し、第1結集では500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集する座長を務めた。禅宗は付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第2祖とする。

須菩提(しゅぼだい)

パーリ語でもサンスクリット語でもスブーティ(Subhūti、सुभूति)。解空第一(げくう・だいいち)。

金剛般若経等、空を説く大乗経典にしばしば登場する[2]。

富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)

パーリ語でプンナ・マンターニープッタ(Puṇṇa Mantānīputta)、サンスクリット語でプールナ・マイトラーヤニープトラ(Pūrṇa Maitrāyanīputra、पूर्णमैत्रायनीपुत्र)。

略称として「富楼那」。他の弟子より説法が優れていた。説法第一。

摩訶迦旃延(まかかせんねん)

パーリ語でマハーカッチャーナ(Mahākaccāna、महाकच्चान)、サンスクリット語でマハーカートゥヤーヤナ(Mahākātyāyana)。論議第一。

辺地では5人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。

阿那律(あなりつ)

パーリ語でアヌルッダ(Anuruddha)、サンスクリット語でアニルッダ(Aniruddha、अनिरुद्ध)。天眼第一(てんげん・だいいち)。

釈迦の従弟。阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。

優波離(うぱり)

パーリ語でも、サンスクリット語でもウパーリ(Upāli、उपालि)。持律第一。

もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。

羅睺羅(らごら)

パーリ語でも、サンスクリット語でもラーフラ(Rāhula、राहुल)。羅雲とも書かれる。密行第一(みつぎょう・だいいち)。

釈迦の長男。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧) となる。そこから、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子(らご)と言う。

阿難陀(あなんだ)

パーリ語でも、サンスクリット語でもアーナンダ(Ānanda、आनन्द)。阿難とも書く。多聞第一(たもん・だいいち)。

釈迦の従弟。nandaは歓喜(かんぎ)という意味がある。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の付き人をした。第一結集のときアーナンダの記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたという。無量寿経等に仏の説法相手として登場する。

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弟子がいないと 教えは広まりません。現代にも伝わりません。

2021年11月24日水曜日

本 NHK100de名著 論語 孔子 佐久協 NHK出版

 p28 

「子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎めず」

論語のこの言葉と ブッダの 「無常」 と は 同じ と 私には思える

2021年11月23日火曜日

本 NHK100de名著 論語 孔子 佐久協        NHK出版

          孔子          ブッダ

  •       BC500年頃          BC500年頃
  •       中国春秋時代 魯       北インド マガタ国
  •       論語             ダンマパタ、スッタニパータなど
  •       弟子が文に          弟子が文に
  •       現代日本では道徳と      現代日本では宗教と
  •       言われている         言われている
  •       教え             教え
  •         子曰く            如是我聞
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論語で 有名なもの 過ぎたるは猶及ばざるが如し  義を見てせざるは勇なきなり
          温故知新         

経 で 有名なもの  ブッダの教えは 経ニカーヤ に まとめられ 後の世に伝わっている。一方 インドに残ったものと 中国に伝わったものでは 同じ名前であってもその内容が 異なっているものがあるし、中国で作られたものもある。    五戒  無常 愛欲 老い 怒り。   

  

現代の日本では 孔子の教えは 道徳といわれ ブッダの教えは 宗教と言われてる。 ともに 日本でも中国でも 今なお 生きていく指標となっていて 考えるときの基本となっている。 多くの人がその歴史を たどっている。  


中国を理解するには孔子、論語も勉強する必要があります。日本仏教が確立した平安時代中期円仁遣唐使、中国は唐 仏教弾圧、老子思想優遇であった。

2021年10月31日日曜日

本 日本の秘仏 平凡社

 藤原隆子 氏の 末の解説 秘仏とはなにか

p119  このようなに形姿は霊験とは本質的な関係はない。霊験というのは語られるものなのだ。


なるほど。 霊験を誰かが語り継いで、守っていく。隠しても 語るものなので守れるということか。 霊験を守るというのは信じているということ、信仰そのものか。なるほど。

2021年10月28日木曜日

比叡山から多数の宗派が誕生しているのはなぜか

仏教の年表を表示します。

 古い順に

独断と偏見で叱られそうだが 私の想像です。

最澄は比叡山で日本天台を開いた。 一切が菩薩であり、一切が成仏できる。という円教思想。密教の振る舞い。大乗戒。達磨大師の禅。 浄土にジャンプ。 を 中心にすえるのが 日本天台。

それまでの鎮護国家のための仏教から 個人を救済する仏教へと変化していく。

ブッダの仏教は 具足戒、出家 比丘が阿羅漢になるためにひたすら瞑想。食料確保のため托鉢、お礼に説法、在家の悩みを聞く。  そのために ひたすら三昧。セックスはしない、酒はのまない。 

その仏教が 日本天台では 国家を救う、個人を救う に 変化している。

個人の阿羅漢を目指すことが しっかり確立していた仏教。  しかし、比丘の数が足りなくなって具足戒をすて 大乗戒を採用せざるをえなくなった。 そして 最澄は日本天台を作った。円仁が唐へ渡り 具足戒ができる比丘を確保しようとしたが、できなかった。 

 『入唐求法巡礼行記』に その辺の事情が書かれている。

遣唐使派遣はなくなり、それ以後 大乗戒を続けざるを得なくなった。そして 日本独自の仏教が歩み始める。 それまで日本各地にあった中国仏教の中心的信仰の対象である観音 は 古臭くなり 秘仏となっていく。空海の密教の追い打ちをかけ 大日如来や不動明王などに変わっていく。

 集まる僧侶も比丘ではない。ひたすら瞑想に励むわけではない。目的が阿羅漢ではなく、個人を救うこと。 以上のことから 、比叡山を出ざるを得なくなる。 

 法然、親鸞、栄西、道元は 最澄・日本天台の流れをくんでいる。

2021年10月26日火曜日

日本仏教の歴史と転換点

 遣唐使を中止、円仁が比叡山に戻って 以後 日本仏教は大きく変わったように見える。

それ以前の仏教  大乗仏教ではあるが 仏教を政治利用 鎮護国家の思想の中核をなす。

それ以後 大乗仏教ではあるが 信仰の対象として仏教 個人的な信仰への逃避場所を仏教にもとめ 文化芸術も日本独自のものが発達していく。

私はなぜ転換しなければならなかったか、政治と宗教の 両面を 見ると わかるのでは 無いかと見当をつけている。

 とりあえず 歴史的に超有名な出来事を 年代順にならべて ながめる。今日は 転換点までの出来事を並べてみる。




2021年10月22日金曜日

本 エッセンシャル仏教 デールSライト 佐々木閑監修関根光宏杉田真訳 みすず書房

 大乗仏教がなぜ生まれそれまでの仏教となぜどこが違い 、違いがなぜ生まれたのか 明確に書かれている。

p103

三・十五 仏教では信仰に役割はあるのか? あるとしたらどんな役割か?

 この質問に対するシンプルな答えは「ある」である。もちろん、仏教の修行には信仰心がともなう。しかしそれよりも、仏教徒が信仰をどのように理解しているのかをはっきりさせることが重要だ。古い仏典には一般に「信心」と訳されるパーリ語およびサンスクリットの単語がいっくつか見られるが、それらを仏教で最もよく知られ最も強調される概念だと主張する人はいないだろう。それでも、信心が果たす役割はとても重要だ。仏典における「信心」という単語の最も重要な意味は、教えの実践への積極的な関与、あるいは献身である。この種の信心は修行を開始する継続する動機づけに不可欠だ。仏教の学習や修行がなんらかのかたちで役立つという確信が持てない場合も、心配することはない。覚悟を決め、規律ある方法で教えに従うには、信心のような献身的は行為も必要になる。そのため、仏教徒は早い段階から新人が修行に欠かせない要素であることを理解していた。

 のちの仏教徒は仏教徒としての第一歩が最も重要な段階だと認識を強調した。彼らはそれを「悟りの思考」あるいは「悟りへの願望」と呼んだ。悟りに大きな可能性があると考えてない人や、悟りをひらいた人生がどのようなものかを想像できない人は、前進する意欲や能力を欠いている。追及する価値があるという強い思いがない限り、人がその対象に向かって努力することはない。悟りに対してそのような考えを持つことが出来れば仏教徒としての第一歩を踏み出せる。。。。。。。

三・十六 大乗仏教とそれ以前の仏教を区別する教えは何か?

仏教の実践方法の多様性については、仏教そのものと、同じくらい長い歴史がある。地域差だけでなく、言語、経済体制、階級、先行する宗教から受け継いだものの違いなども、ダルマの理解に影響を及ぼした。だが、紀元前一世紀ごろに、顕在化したと思われる実践方法の違いが仏教内の根本的は分裂として表面化することになる。そして仏教を理解し修行するための初期の方法に対して一部の比丘たちが浴びせた批判が上座仏教(小乗仏教)とは大きくことなる「大乗仏教」と呼ばれる運動を引き起こした。大乗仏教の教えは、仏教が中央アジアや東アジアなどに広がるにつれて、紀元後の数世紀のあいだにインドなどで発展した。ここでは大乗仏教に見られる八つの新機軸について見てみよう(そのうちのいくつかは、この後の節でさらに詳しく取り上げることにする。)。。。。。。。。。。

ーーーーーーーこのあと 宇宙観 菩薩道 慈悲の誓い(個人的な悟りから悟りが衆生の権利と考える) 乗り物 無常縁起無我の拡大解釈としての空性 方便 律の変化 出家と在家の違いの重要性の減少 仏性  が 述べられていく。ーーーーーーーーー

引用が長くなりましたが ここは 日本の大乗仏教を考えるうえで 重要なところなので、ぜひ本文をゆっくり読んでほしいです。

 日本語で書かれていないお経  中国語やパーリ語、サンスクリット語で書かれている。口伝で伝わるお経 。ましてブッダ自身の著作物はない。  いろんな研究で 仏教の理解が深まり、仏教自身も変化していきます。 おわりがありません。


2021年10月19日火曜日

本 ヒトの心はどこから生まれるのか 生物学からみる心の進化 長谷川眞理子編著 ウェッジ選書

 引用が多くてすみません。

p23からp27にかけて。

紀元前500年ごろ ブッダが五蘊ごうん色受想行識、眼耳鼻舌心意についてのべていることと非常によくにている。









2021年9月30日木曜日

宗教 宗派 性欲 恋愛 出家(社会の2重構造)   について 主成分分析 の 準備

 性の扱いについて知ることのできる 宗教、宗派 を まず列挙

1,ブッダ

2,アーナンダ

3,ジャイナ教 1派

4,ジャイナ教 2派

5,イスラーム タリバン

6,イスラーム IS

7,イスラーム スーフィズム

8,イスラーム スンニ派

9,イスラーム シーア派

10,ユダヤ教 原理主義

11,ユダヤ教 現代

12,バラモン教

13,現代インド ヒンズー

14,高野山密教

15,チベット密教

16,浄土真宗

17,比叡山天台宗

18,ローマ・カトリック

19,ギリシャ正教

20 ルター派

21カルバン派

22英国国教

23ピューリタン

24モルモン教

25 現代キリスト教

26 トルコイスラーム

27 ゾロアスター教

28 オウム真理教

29 現代日本の無宗教と宣言している人々


2021年9月9日木曜日

本 独習アセンブラ 新板 大崎博之著 SESHOEISHA 2021年9月8日初版第一刷発行

 


なんでこんな本が仏教の勉強会で とりあげるのか。
仏教では 論を論じてはいけないという格言がある。 それの意味するところが アセンブラを勉強する ことと関係が深いと思うからである。この本の対象となる読者に こう書かれている。C言語の原因不明のエラーの原因を知って治せるようになりたい人。 本書の読者の対象とならない人で 「今すぐに使える」コツや便利なツールや使い方をしりたいだけの人

と はじめに に 書かれている。

小保方さんのようにコピペばかりやって本質がわからない人はだめ、スマホはいじれても何をやっているのか知ろうとしない人はだめ、 自動車の性能の知識やあるが、新しいエンジンを作るアイデアが全く浮かばない人はだめ。 いくら経について論じた論だけを読んで 経を読んだ人の感想が知れるだけで、経に何がかかれているのかは 実際に経を読んだり実践しないと理解できない。 仏教には戯論けろん と いう にせものや 日本仏教の粋 大乗起信論のような寄せ集めといわれるようなものまである。 (私にはわからない でまかせです。)

いまの世の中特にコロナになって知識ばかり振り回す人やたら多い。 一方 こんな 本が売れるように ゆっくり考えたいと思う人間がいるのである。



2021年8月29日日曜日

タリバンのヒジャブ、オリンピックにおけるLGBTQ 性についての考え直し、提言が盛んだ。

 仏教においての性について述べてみたい。以前に マハーパジャーパティーという本を紹介した。その本にブッダの女性についての考え方がはっきり書かれている。

まず 一般的なこと。 

仏教サンガは男 女は別々。比丘集団と比丘尼集団は別。 日本の浄土真宗の寺はほとんどが世襲性。つまり僧侶は結婚をして子供をつくり子供に寺を継がせた。 一方明治以前の寺、僧侶は男色が当たり前でそれが正常で異常ではなかった。稚児を可愛がる僧侶は当たり前のことだった。

五戒にあるように在家者はむやみに性行為はしてはならないと理屈なしにブッダは言っている。出家者は律に頭から決まっているように性行為が禁じられている。勉強するのに性欲は邪魔なのだ。

仏教は教えを後世に伝えるためには サンガに提供する子供を在家に提供してもらわざるを得なかった。在家はストイックではない。のだ。

ブッダは因果の法を教えて、その逆も教えて欲を消す方法を提示している。 しかし、その方法を使っても性欲を消すのは困難だったのではないだろうか。だから五戒の中にむやみに性行為はしてはならないという項目をいれたのではないだろうか。と わたしは思っている。


このマハーパジャーパティーの本に書いてあることを紹介したい。

マハーパジャーパティーはブッダの養母だ。ブッダの実母は早くになくなっている。ブッダの教えを勉強したいとマハーパジャーパティーはブッダに懇願する。比丘集団を作っていたブッダは男の中に女が入るのは絶対にだめだと断る。何度も何度も懇願するがブッダは断り続けた。その部分はとても感動的な記述だ。 それを見かねたブッダのいとこで養母のこともよく知っている尊者アーナンダは ブッダを諭す。  そして ブッダを条件付きで比丘尼集団を作ることを認めるのだ。  

以上 仏教は男女、性欲は必要なもので消せないあるもので、差別するものではないと考えている。




2021年8月24日火曜日

ふと思った。ガザーリーがスーフィーに入っていった事 と 信仰 仏教を勉強すること と 信仰

 ガザーリーは12世紀イランイラク地方のイスラム神学校の最高権威の先生。オピニオンリーダー。 広まり始めたビザンツ、ギリシャなどから哲学。これがイスラム教に入り込む状況にあった。 先生でありながら 神に対する自身の信仰心に互いを持った。 だから 信仰心を持つ事によって神と一体化し神を理解するという スーフィーに入ったのではないだろうか。 私は仏教について勉強しているが、仏教徒ではない。阿弥陀も観音も弥勒も薬師も信じているわけではない。 信仰心がないと言われてはそれまでだが。  もとの仏教には信仰心はいらず 阿弥陀や観音、弥勒、薬師は信仰心がいるからだ。 もとの仏教を信じるには闇雲に信じるてもしょうがない。勉強することによって近づいて行くのではないかと信じている。

2021年8月21日土曜日

国境なき医師団のニュースレター

 

家族の支えがあるからこそ  という言葉

サンガに参加する、出家する、具足戒を受けるとき

必要条件の一つ

 あなたは両親の許可を得ていますか。


それと とても良く似ている。国境なき医師団に参加するというのは出家することよく似ている。 

2021年7月16日金曜日

本 言語と呪術 井筒俊彦英文著作翻訳コレクション 安藤礼二監訳 小野純一訳 慶応義塾大学出版会

 大乗仏教が漢字経典や仏像として日本に伝わっている。 一方テーラワーダ仏教は ほとんど偈の形で スリランカ、タイ、ミャンマーなどに伝わっている。 日本の浄土真宗は経典もあるが正信偈、と南無阿弥陀仏という一種の呪文で伝わっている。 真言宗は 経典は主に般若心経であるが 偈として 一般に広がっている。般若心経に意味を持たせているのは 僧侶や学者だ。 

そういう意味で 言語と呪術 というタイトルの 本は 仏教の本質をついているのではないかという 期待を持たせる タイトルだ。

 しかし、読み始めると 難しい。眠くなる。集中が続かない。 正確に、科学的に 展開しようとし、嘘や強調が少ない。 事実、引用、自分の考察を しっかり 分けて 書かれている。 言語と呪術は人類に同時に生まれ 言語と呪術の境目が ない が 生存目的だけではないある意味のある音声だった。 現代の科学の発達した社会において呪術はかなり隅に追いやられている。  というような 事が 書かれていると 私は想像している。 もっと、わかりやすい文章の展開はないものだろうかと 思ってしまうが 科学的には どうしても この表現になってしまうのかと 思ってしまう。

 辛抱してゆっくり読むことにしよう。 けれど集中が続かない。

2021年7月13日火曜日

本 英国の仏教発見 フィリップCアーモンド著 奥山倫明訳 法蔵館文庫

 ビクトリア時代の英国における仏教、ブッダについて書かれた本だ。

絶対的、感情を超えた不条理のキリスト、神の存在しか思い当たらない英国人にとって 仏教はかなり衝撃的だったに違いない。 まして、キリスト教徒より、仏教徒が圧倒的に多い時代だ。 絶対的な存在が神以外に存在するという衝撃だった。 宗教、神、倫理など 全て キリストが存在するということから出発する 考えしか 持っていない人々にとって、 ブッダは もう一つの 神 と 見るしかなかったと想像する。

 と ページをパラパラめくってこの本を 見ていて そう思った。

2021年6月16日水曜日

ふと 思った。

 少し前まで自己中の方が多かった。何かうまくいかないとどうしようもない独りぼっちだという感覚を抱く人が多かった。

しかし、最近は少し変わってきているのでは ないだろうか。

1.おかげさまで。いただきます。と 生きていたもの、生きているものを いただいていることが 盛んに言われるようになった。

2.プラスチック汚染を自身が行っている。そのため 生物の相互依存環境が失われて言っていると 毎日のように報道されている。

3.地球温暖化を自らの消費活動が進めている。欲望によって地球破壊活動が簡単には元に戻せないことがわかってきた。


などなど 地球上で 大きな生物の中の一つの塊として存在しているに過ぎないと 感じるようになってきた。 そのため 逆説的に 絶望的な孤独感は 感じなくなってきているのではないか。

2021年6月1日火曜日

本 善の研究 西田幾多郎著 岩波文庫

 慈悲や愛情など影響された 現代の日本仏教を 形成していった人々 鈴木大拙、和辻哲郎、倉田百三 などに 大きな影響を与えた 西田幾多郎のことを 知りたかった。 そこで まず 代表作 善の研究 を 読むことにした。

 第一章から 難しい言葉が並ぶ。心理分析だ。  

p18

 しかし これらの知識は正当の意味において経験ということができぬばかりでなく、意識現象であっても、過去についての想起、現前であっても、これを判断した時はすでに純粋の経験ではない。真の純粋経験は何ら意味もない、事実其の儘の現在意識あるのみである。


  私 ここんところは 無常の説明と言っても良いのではないか。

p18

 右にいった様な意味において、いかなる精神現象が純粋経験の事実であるか。感覚や知覚がこれに属することは誰も異論はあるまい。しかし、余はすべての精神現象がこのかたちにおいて 現れるものであると信ずる。 。。。。。しからば情意の現象は如何というに、快、不快の感情が現在意識であることは言うまでもなく、意志においても、その目的は未来にあるにせよ、我々はいつもこれを現在の欲望として感ずるのである。

 私 ここんところは 眼耳鼻舌心意 、五蘊、さらに 色 の 説明と言ってもよいのではないか。  西田幾多郎の生きた時代、初期のブッダの教えが 広まっていたかどうか わからないが 西田幾多郎は自分の思索から上記のことを 発見していったのではないかと 思われる。

2021年5月22日土曜日

テレビで我が子の遺体を抱いて彷徨う母ザルの映像が流れていた。

 仏伝ひとつの話。キサーゴータミー鬼子母神そのものだ。ブッダはキサーゴータミーに誰にでもどんな家族にも 死は 必ず あることを 説明する。

 仏伝などにいろんな話が出てくるが ブッダの役割は たいてい 医者のようなものだ。困っている人の話を聞き 困っている人のところに行く。 特効薬があるわけではない。説明するばかりだ。 五戒という 具体的な理由をきちんと説明できない 守った方が良いだろと いう 人間のルールがある。 守ったらこんないいことがあるよと 説明しているのが 仏伝などの説話のように思う。

2021年5月18日火曜日

本 生命とは何かwhat is life? ポールナース著 竹内薫訳 ダイアモンド社 と 浄土真宗の いただきます

 p239 

ウイルスは、宿主の細胞の中で化学的に活性化して増殖中の 生きているものと 細胞外で化学的に不活性なウイルスとして存在している 生きていないもの を 循環しているといってもいい。

p240

さらに、われわれが食べる一口ごとの食べ物は、他の生き物によって作り出されていることも、忘れてはならない。

p241

つまり、完全にゼロから、自らの細胞の化学的構造を作り出すことができる動物や植物や菌類は、一つもないのである。

p242

15億年ほど前に起きた運命のいたずらで、このような細菌のいくつかが、別の種類の細胞の内側に仮住まいを始めた。時がたつにつれ、主である細胞は お客さんの細菌が作ってくれるATPなしでは生きてゆけなくなり、ミトコンドリアは定住することになった。


p243

地球上の生命は一つの生態系に属している。そこには、あらゆる生き物が組み込まれ、相互にあまねくつながっている。 このつながりは本質的なものだ。



上記は浄土真宗の食事の挨拶のパンフレットだ。 

いただきます が とても 現実的だ。


2021年5月17日月曜日

新聞の死亡欄

 

葬式仏教といわれて永い。最近は死亡欄に 家族葬や近親者のみで行ったなどの言葉が多い。僧侶の出番はてっきり減っている。
また浄土真宗のほんこさんもコロナの影響で なくなってきている。 檀家回りも感染予防の観点からできていない。寺の収入源が絶たれているのではないだろうか。 イスラムはラマダンやお祈りの方法を変えている。仏教特に集会や念仏をとなえる浄土真宗は 教理を 変えるほうが良い。寺は本山の力が強い。 本山が号令をかけないと 変わらない。 また今以上に多角経営をしないと生き延びられない。神社は手をかえ品を変えしている。

2021年4月24日土曜日

本 ゾロアスター教3500年の歴史 メアリーボイス著 山本由美子訳 講談社学術文庫

 p15 新版にむけて

草原地帯における社会秩序の崩壊は、イラン人大移動の主たる原因のひとつであったかもしれない。


上記がとても気になる。

歴史で習った仏教伝来について 。とても変。 538年とか552年に仏教が日本に伝わったということになっている。 フランシスコザビエルがキリスト教布教を目的に 日本にやってきたのとは 全く異なるのではないか。  弥勒信仰や観音信仰が 日本列島にやってきた。 特定の宣教師や僧侶が わざわざ 仏像や経典を運んできたのだろうか。   考えにくい。

最近の染色体遺伝子の研究から 日本列島に 波状的にたくさんの人々が 中国大陸や朝鮮半島からやってきた。もともとの縄文人もたくさんいた。 歴史上の大和政権や天皇家にしてもどこから来たのか 元々いたのか あいまいだ。鬼ヶ島に攻め入る桃太郎などは まれな 現象。 飛鳥時代、奈良時代と 外国人が 多数出てくる。そのころ日本人外国人の区別ははっきりしなかったのではないか。 百済に起きたことは 日本列島で 起きたことと 完全に連動しているようにみえる。 以上のことを考えると 日本列島に存在した、弥勒信仰や観音信仰は 誰かが布教したのではなく、 中国大陸や朝鮮半島の人々が 日本列島に移動することによって 日本列島に存在することになったのではないかと想像する。

夢を見てうなされた

 善と邪悪が対立するゾロアスターの本を読んでいたから 夢を見たのかもしれない。

善と悪は 宗教ではかなり大きな問題で、キリスト教の最後の審判や閻魔様に判断され 地獄に落とされるなど など いっぱいある。 テレビドラマでは 勧善懲悪ものもあるある。

 多くは善と悪の判断は 死んだあととか ドラマの終わりとかが 多い。 結局結論この世では結論が見えないというのが 普通なのだ。


見た夢はそうではない。 外見ではわからない ヒトの格好をしたアンドロイドと人が 混在して暮らす近未来。 あるアンドロイドが 有無を言わさず ヒトやヒトの格好をしたアンドロイドを 善と悪に 分類していくのだ。 そのあとどうなるかはわからないが とにかく 生きている間に 分類していくのだ。  そして うなされて目が覚めた。

2021年4月14日水曜日

本 南伝ブッダ年代記 アシンクサラダンマchronicle of the BUDDHA 著 奥田昭則訳 東方出版

 p101

23話 最初の説法 「転法輪経」

1,正しさの証明 :2度3度 5人に聞かれて 同じ答えをした。

2,修行の目的 :不死を実現、生と死を超越 した

3,修行の方法 :真理を教える、その教えにしたがうなら 不死の実現ができる。

4,とにかく 真理をほかの人に教えないことには 現代まで仏教が 続いてこない。しかし、教えに従ったからと言って不死の実現ができた人がいたかどうかわからないが わたくしの見える範囲にはいない。



2021年4月10日土曜日

本 南伝ブッダ年代記 アシンクサラダンマchronicle of the BUDDHA 著 奥田昭則訳 東方出版

 法を発見したブッダがなんで 説法を始めたのか わからなかった。

この本 第Ⅲ部法輪を転じる 伝道布教へ 第1章初転法輪

22話 タブッサとバッリカ 最初の在家仏弟子

p99 ブッダがさとりをひらいてから八週目の最初の日だった。 ラージャーヤタナ樹。


ひとりで座っているブッダをみつけて タブッサとバッリカが お布施をする。 ころころの北インドでは 功徳ある行いは 繁栄と幸福をもたらす という 習慣があったようだ。

ブッダは持国天、増長天、広目天、多聞天または毘沙門天に 碗をもらう。それに 米菓子と蜂蜜を 受け取る。

ブッダは自分で勝手にお布施をいただくのではなく 天がお布施をもらいなさいだから私はお布施をいただいた。というような筋である。 自分が勝手に物乞いをしているのではなく 天が やりなさいと自分に言った。 と とれる。

2021年3月23日火曜日

ブッダの待機説法

 分け隔てなく 悩みを解決してくれるとてもありがたいことだと 思われている。

裏を返せば

それぞれ個人の悩みを聞き個別に話をする。個人同士の繋がりがないので、他人がどんなことを言われているのか知らない。 全体として ブッダがどんな考えを持っているのか 見えてこない。ブッダの全体像が見えない。 という事になる。

商売で取引をするとき 必ず 個別で 行う。情報を他の業者に知らせない。 有利な入札を行う 鉄則だ。 入札を行う側が 知る特典、比較する特典を持っている。その結果 自分の商売に有利に働く。

2021年3月9日火曜日

本 AI・ビッグデータの罠 キャシーオニール著 インターシフト

この本のなかに 代理データ という言葉が なんどもでてくる。 

個人そのものを知って 何かを伝えようとしても 個人から得らえれる 何等かの 断続的な 情報を もとに 個人を表現してしまう。 個人のことを 別の人に伝えるのに 生まれてからの行動や発言をすべて ビデオにとっていてそれを なんの加工もなく 別の人に伝えるのは 不可能だ。 それより 個人の 所属する団体、個人の クレジットカードの使用状況、個人の著作物、ネットでのクリックの履歴 を 拾い上げることのほうが 簡単で かつ 伝えやすい。   また 何かの現象を伝えるのに、言語、映像、数式など で おきかえて 伝えようとする。 これは  人間の持っている元々の能力 だ。 それも 個人によって 現象をつたえる 手段はことなるし、 別の人に伝わった中身もことなる。受け取る 人によってもことなる。

クリックするかしないかは 伝える中身としては 短い。 アンケートの答えでも yes no 以外のことをこたえたい場合も結構多い。  音データでも アナログ、デジタルがあるが、デジタルをどんどん細かくするとアナログに近づく。 アナログは あるかないかわからないうちに いつの間にかなくなっていたりもする。

上座仏教の教えは 全て口伝だ。 バラモン教と似ている。 それも 他言語に置き換えるわけではなく パーリ語のみ。 ほかの言語に置き換えたり 文字や絵にしてしまうと 伝わらないの 思われているのかもしれない。 口伝だと 人がいると伝わる。文字だと 人がいなくても伝わるが 改ざんされる恐れも いっぱいある。

2021年2月7日日曜日

フトドキな発想

 サンガの比丘 悪いことばっかりしたので 人気がなくなった。 こつじきをしても 食べ物にありつけなくなった。 

あっそうだ。 お慈悲を見せれば お布施をいただける。空腹が満たされる。

これが 慈悲 の始まり。 菩薩 大乗仏教の始まり では 無かろうか。


2021年2月6日土曜日

アマビエなどの日本にある宗教観

 キリスト教を信じるときは 予言者 聖者の 奇跡を 見て 信じはじめることが多い。人間のできないことを奇跡がしてくれたと思う。それが神の力。

アマビエは奇跡を起こすが アマビエが奇跡を起すと誰も思っていない。 なんでアマビエが もてはやされているのか。  アマビエを見るたびに自分の願いや期待を 思い出させてくれるのです。  見るたびに 自分の願いや期待を 思い出す キッカケを作っているのです。 奇跡を信じているわけではない。奇跡を起こす神や予言者や聖者を信じているわけではない。  

 自分の願いや期待を思い出すキッカケをつくるもの。 それが 日本で広がっている宗教観では ないだろうか。 と 勝手な想像です。  

2021年2月3日水曜日

梵天勧請 続き

 ブッダは新しい法を見つけたもの それを広める自信がなかったのではないか。梵天が支配する娑婆において すべてが悪いわけではなく うまく行っていることのほうが多い。 と ブッダは 見えた。だから 自分の発見した法をすべてに 適応するのをためらった。が なんとか広めたいと葛藤する。そこで梵天の力を借りながら梵天より 優位であると示す。 それが 梵天勧請の正体であるまいか。


2021年2月1日月曜日

梵天勧請 の 部分

 本 阿含経典 2 増谷文雄 編訳 ちくま学芸文庫

p484 2勧請 南伝 相応部経典六、一、勧請・漢訳 増一阿含経十九、一

梵天が世尊をみて法を知ったことを見てとる。そして梵天が世を見て 世尊に偈の形で世尊に勧請する。そして世尊は 世間をみる。世尊は 偈をもって娑婆世界の主たる主たる梵天に答える。 

そのあと 梵天は世尊を礼拝して 姿をけす。


世尊は 娑婆をよく知っている梵天に 娑婆をよく見ろといわれ 納得し 娑婆を見て 自分が発見した法を 娑婆の人に説き始める ことになった。さらに その世尊を梵天はみて拝んで消えていった。と書いてある。

「つもりこれは 娑婆のことを 世尊が梵天から引き継いだ。 というとこと みなに知らせるパフォーマンスだ。」

と 私は考える。


その前の梵天相応p480 では

法を発見した仏陀が だれも 聞ける人がいなくなって すごい孤独にさいなまれる。それを梵天が仏陀を慰める。

2021年1月30日土曜日

仏陀となったひとは なぜ 説法をはじめたか?

 一般的には 阿含経 に書かれている。梵天勧請 ということになっている。

バラモンを否定している仏陀。バラモンは梵天ブラフマンに の 意向に従っている。梵天になんで 説法しろと言われなければならないのか。

また 佐々木閑さんは 慈悲の心をもって 苦しんでいる 仲間に 教えたのが始まりとしているようだ。


なにが どうなのか これから 考えていくことにする。

本 仏教の誕生 佐々木閑 著 河出新書

 政党政治や会社組織で よくみられる ことです。サンガでは答えが決まっています。

p157

もし、自分の先生から指示されたことが「律」に反していた場合、その弟子はどうすべきでしょうか。「律」にしたがうべきか、「先生の言葉」に従うべきか。答えは「律」です。「律」は 修行者が所属している組織を守るために決められたものなのであって、「律」に背くということは組織の存続に対して害を与えることになるわけです。 たとえそれが自分の恩のある先生の言葉であっても、法律に背くならば絶対にしたがってはならないという規則が「律」自身の中にあります。それだけではありません。その場合には先生にたいして、「先生、あなたのおっしゃることは律に背くので従うことはできません。どうぞご勘弁ください」と、先生にたいして意見せよという規則まであるのです。

2021年1月28日木曜日

本 仏教の誕生 佐々木閑 著 河出新書

 p155

答えに迷ったときに大切なのは、必ず原理原則に戻ることです。なぜ私たちは普段このような行動をしているのか、そして、その行動原理に基づけば、いまあらわれた未知の現象に対して どのような姿勢で臨むのが正しいのか、という問いの立て方をいつも心がけるということがだいじなのです。

とてもいいことが書いてあります。 新型コロナウイルス感染症の広がりに対して、 3蜜をさけるなどの生活規範 緊急事態宣言などの あたらしい 規則 が 示される。

 そのたびに 生活が振り回されているように 感じてしまう。 上に書いてあるように 自分の考えを持ちましょう。 5GやDX AIによって示される方向性 などに たいしても 自分の考えも持ちましょう。

2021年1月24日日曜日

本 仏教の誕生 佐々木閑 著 河出新書

 p124 最初の説法

 どうして 説法をはじめたのか 私は 納得がいかない。

 釈迦は、自分の心の苦悩を自分で消したいと思って修行の道にはいり、そして自分自身の心を変える努力をした結果として、ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開きます。そして、苦しみを消すためのその道を他の人たちにも教え、彼らを救いたいと願うわけです。その思いを「慈悲」といいます。そして仏教という宗教を作りました。仏教は釈迦というリーダーを中心とし、そのリーダーが今までやってきた体験を追体験したいと願う人たちが集う組織です。サールナートの地で5人の修行者に説法したことから始まった仏教は、やがて弟子の数もふえて大きな集団となります。これが仏教という宗教のコアになっていくわけです。


仏伝や仏教遺跡として 観光地となっている 名前がでてきます。いかにも 本当のようですが 他の人を 救おうという 発想がどうして 出てきたのか 私にはわからない。

2021年1月15日金曜日

本 仏教の誕生 佐々木閑 著 河出新書

 仏教を5行ほどで わかりやすく簡単に説明しています。

p87 第四講義

 仏教というのは、世俗の幸せを実現するために努力する宗教なのではなくて、真の安寧のために、欲求を満たしたいという思いを捨てよ、と説く非常にユニークな、画期的な思想に基づく宗教です。ただしそれを、普遍的に全ての人類に適応せよと言うことではなく、世俗社会がまずベースにあって、その社会の中で行きづらい、生きられない人たちの受け皿として作用する宗教だと言うこともお話ししました。


どの言葉も捨て難いですが、 私は 特に 「世俗社会がまずベースにあって」と言うところが気に入っています。まず 欲で作られた世の中が あるのです。 それがないと 仏教は存在しないと言うことです。 また全体としてわかるように仏教のある社会は 二重構造をしていると言うことです。仏教用語では出家と在家です。