2018年10月29日月曜日

中高で習った世界史

キリスト教とヨーロッパのことが 中心だ。異端 異教 を 決める なんとか会議。軍事衝突 残虐性 自由といいながら暴力で自由を奪う。平等と言いながら差別や偏見があり続ける。

 そういうことを歴史で学んでいるにも関わらず
キリスト教やヨーロッパを おろかとは 見ないように教育されている。 不思議だ。

 キリスト教風の結婚式をあげ クリスマスで遊んでいる。
 プロテスタントかカトリックか知らなくても教会だったら何でもよい。幼稚園は宗派の名前がついていることが多いが お受験なら何でもよい。牧師も司祭も 意味わからん。テレビで世界遺産巡礼のなんちゃらとよくある。プロテスタントが巡礼に行くかどうか。 

知ろうともしない。

2018年10月28日日曜日

修道会

まんが
キリスト教の歴史 樋口雅一著 forestbooks
P235 教会改革
清貧なフランチェスコが修道会を作る。
仏教サンガとよく似ている。
しかし律がしっかりしていない?
いろんなグループに分かれていく。1226年フランチェスコ死亡




2018年10月27日土曜日

同義語特集

イエスキリスト
神を信じる
神がおわします
アッラー
神が見ている
お天道様が見ている
神に近づく
科学する
真理を求める
真理がある
仏教を信じる
仏様が現れた。
お釈迦様でも。
仏教を勉強する
ブッダを知る

類義語 宗学 神学


2018年10月26日金曜日

本 哲学のヒント 藤田正勝著 岩波新書

p88 実在 日本語と哲学
和辻哲郎のもの、こと の引用
西田幾多郎 純粋経験という概念

仏教で 色の理解の始まり。
五蘊 眼耳鼻舌心意からはじまるしこうで 言い尽くされているように思う。

インドの言葉を 漢字 や 日本語に 訳され
現代の私たちの前にある。質問はあっても 意見や反論が ない。

哲学は完成がないようなことが、かかれている。
仏教は 区切り段階境地があり あ羅漢 菩薩 涅槃 仏陀など あり。完成の涅槃や仏陀が 示されているが 通常は理解ができない。

2018年10月25日木曜日

本 哲学のヒント 藤田正勝著 岩波新書

p63 
三木清 自己は虚無の中の1つの点である
時間をとめて考えるとそうかも知れない。しかし ブッダの教えでは 因果 原因があって結果があり 時間の流れの上にある。法がある。と言っているのではないだろうか。
p64 無常
無常感 を 日本人は強調しすぎている。
そのとおりと思う。 連如 の 白骨の御文も。
 無常は 因果の法 を 視覚 感覚で 表現したもの ではないか。
p71
縁起と空
そのことが仏教では 無我 や 空 という言葉で表現されてきました。
私は無我と空は異なる概念だと思う。

p76
生と死 死を受け止めたときの思いや感情を問題にすることはできますが、死そのものについて論じることは難しいのです。
私 死そのもの理解はかなり解明されてきたように思う。死に向かい合ったときの心の変化も分かってきた。 因果の法にしたがって 存在した 死という一連の現象をいきている人間が観察し反応している。 難しいとあきらめて 考えを停止してはいけないと思う。

それにしても ブッダの教えは いつでもどんなことでも 答えやヒントが用意されて言うようで。それ以上のことが考えられない。

2018年10月20日土曜日

本 増補ヨーロッパとは何か クシシトフポミアン松村剛訳

平凡社
p110
宗教改革について 述べているとこと。

次いで、神と人間との間で媒介となる専門家に関して、彼らの必要性があるか否か、また、もし必要と認められる場合には、教会の中でいかなる役割を演じるべきかであった。

 日本の仏教について考えてみたい。鎮護国家を造る手段としての天皇制または院政からの 脱却 を 目指して 親鸞の浄土真宗が 生まれた。南無阿弥陀仏で成仏という発想である。僧侶は 宗教上は役割がなくなっている。 仏と人の間に あの世にいる阿弥陀のところに直接行ってしまう発想である。

 ヨーロッパでは神と人との間に いろいろ介在している。宗教改革 宗派に よって いっぱい分かれてしまっている。z

2018年10月13日土曜日

不条理について ふと思った。

逃亡者にお接待をした。お接待をされるがわのことは とわない。殺人者であろうが 会社の重役であろうが。
 しかし お接待にやって来た人が ロボットやアンドロイドだとしたら 果たしてお接待をするだろうか。
 人間の作った価値観 神 真理は 人間に適応されるものかもしれない。不条理は 人間に適応されるもの。そして いわゆる人各が存在しなくても 不条理は適応されるものかもしれない。