2022年7月31日日曜日

ブッダの身体的特徴 西欧キリスト教国的見方 と 日本大乗仏教的見方

三十二相八十種好 と 大乗経典などで 言われている ブッダの身体的特徴は 釈迦仏像が普通の人の模写ではなく ブッダという 信じがたい ブッダそのものの像 ということで現れている。 美術の観点からではなく 大乗仏教の布教という点から見ると そうなるのだ。

一方 かつての西欧キリスト教国の 学術調査団や 母国の人たちは ガンダーラの仏像を みて どう考えただろう。 キリスト以外に奇跡を起こせる人は聖者だけと考える下地がある。

仏像に見られる肉髻や白毫が 人の奇形の一種であり ブッダの発明した思想は あくまで人間ブッダの考えたことであって ブッダはあくまでキリストや聖者ではなく 変わった特徴をもった人間であると 考えていたのではないか。


と 今まで読書や人の話をきくと その様に 考えられる。

2022年7月30日土曜日

本 「律」に学ぶ生き方の智慧 佐々木閑 新潮選書

 まえがきに いいことが書いてあった。

p12  死後の幸福を説く宗教は、死後の世界の存在を信じる人たちにとってはこの上ない生き甲斐となり、人生の支えとなるが、それを心底信じ切ることのできない人にとっては「怪しい妄説」としか映らない。


なるほど。阿弥陀信仰 お浄土を信じていない自分としては なるほどと思える文章だ。

2022年7月29日金曜日

あるセミナー 仏説父母恩重経

 信濃毎日新聞のチラシにあった浄土真宗系の宗派のセミナーに参加した。

その日は仏説父母恩重経 の 解説であった。 漢文が示されてはいなかったが たぶん

如是我聞 で はじまる 経かもし得ない。

その日本語訳で 親の恩 10個 を 示したものだった。

1懐胎守護の恩 2臨生受苦の恩   さいご 10究竟憐泯の恩 と 続いた。

母親は子供を妊娠中から子供が死ぬ最後まで子供のことを 思っている その恩を 知りなさいあるいは恩に報いなさい。むくいるには 親に何か具体的にプレゼントをするのではなく 親に 仏法を教えなさいという おちがついている。 そんなお経だ。という 解説だった。

日本でも明治時代まで 現実味のある 教えだったに違いない。

しかし、仏陀の生きていたBC5世紀の北インド 現代の日本を見てみると どうも しっくりいかない。  いつの時代か 儒教の発達した中国で つくられ 遣唐使の誰かが日本に持ってきて それが 浄土真宗のこの宗派へと つながったのではないかと 想像できた。

父母とは書いているが 実際は母の子に対する思いについて書いている。  もし BC5世紀の北インドなら サンガに子供を提供するまでの 家庭内の教育について 書いた お経が出来ていたかもしれない。 最初私はそれを期待していたが、そうではなく5戒を家庭で身に着ける方法をかいたのではなく  母親の子供への思い 妊娠から臨死までの子供への思いについて書いたものだった。 儒教であれば 親に感謝で終わるものを お経なので この最後は おやに仏法を教えよ と 結論付けている。 

また 浄土真宗は 結婚子作りを僧侶に許しているが その宗派であればこその 母親の妊娠のことが書いてあるお経である。

というのが 私が このセミナーを受けた感想だ。

この宗派のコマーシャルを見ていると 歎異抄と親鸞聖人のことを重んじている。 

日本の平安時代中期に確立した日本の大乗仏教を信奉しそれが信仰の中心であると 唱える鈴木大拙、和辻哲郎 、倉田百三の方々の 流れであると 思われる。が これは 儒教と大乗仏教の 混交ではないかと 思えてきた。 とは まだ証拠はないが。 

2022年7月24日日曜日

出家と在家の二重構造の社会制度そのものが仏陀が発明した仏教と 書いたが?

 一生懸命に法に基づいた施策を繰り返す比丘。そこに相談に来る在家の人々。単に話をするだけなのか それとも アドバイスをするのか。もし 在家の相談に うまく対応できなかった場合 比丘はどうするのだろう。対応マニュアルでもあるのだろうか 阿羅漢に達した人であれば対応できるが新米比丘は できるだろうか。  

 そのへんのところを考えてみよう。 うまく対応できず 相談する人もいなくなって お布施や乞食がなくなると サンガは消失してしまう。

2022年7月7日木曜日

宗教と音楽 律(旋律の律より戒律の律) 動揺赤とんぼ ペンタトニック

すでに誰かが述べていることかもしれないが 動揺赤とんぼを 歌って ふと 思ったので あえて書きとどめておく。


 宗教と音楽は関係が深い。いくらでも例がある。一方音楽は宗教宗派に 無宗教者を誘うために使われることが多い。

周りを見てみよう。 バッハは教会音楽をいくつも書いている。カンタータなどなど。ヘンデルのオラトリオも有名だ。 儒教の鐘。浄土を描いた絵のいろんな楽器。 比叡山などの日本仏教の声明。 クリスマスの音楽。 などなど。 音楽と宗教は切っても切れないようにも見える。人間の欲望を駆り立てるなにかの力をもっている。 初期の仏教では逆にそのことを嫌っておんぎょくをさせない律もあるようだ。 

では その力とはなにか。 五蘊(眼耳鼻舌身)とは違うようにも見える。

音楽で好むものと好まないものがある。心地よいものと気持ち悪いもの。不快に感じる音。不快に感じる和音。緊張する和音。 一つの音だけでなく 2つ以上の音が重なると いろんな感情をくすぐることになる。  

ギターの先生からペンタトニックを習っている。 ファとシないスケール(ヨナ抜き) で ギターのどのポジションで どの弦で 引くかということを 習っている。 相対的なもので 主音がCでもGでも なんでも ヨナ抜きで引くと とにかく心地よいのだ。 とても不思議なかんじがする。 ヨナ抜きは 長調の3和音(ド・ミ・ソ)と短調の3和音(ラドミ) それに レの 音を加えたものである。  

動揺赤とんぼのメロディーは 全くヨナ抜き だ。 ハ長調ドレミにすると ソドドレミソドラソラドレミ となる。 ヨナ抜きでしょう。 それが 心に響き 心地よいのだ。不思議だと思いませんか。

音楽を使って宗教や宗派に 人を引き込むようなことは したくはないが 考えてみる価値はあると思っている。

2022年7月5日火曜日

仏教の総論 から 日本の仏教について むずかしい仏教用語 むずかしいおきょうさん

 まえに 仏教は 2重構造の社会の仕組みを ブッダが考えた と 書きました。

出家と在家という2重構造です。  もう一つブッダが考えたことは 法 です。 因果いんが ということを 頭に浮かべると どんどん 考えが 深くなるということです。 法は 仏法僧 の 法 です。聖徳太子も述べている 法 です。 現代人が考える法律ではなく 法則にちかい 考え方です。  これがあるからそれがある とか これの前には こうだったから今はこうなのだ とか 因果いんが が 必ずある ということです。 時間の流れと似ていて逆向きにはならないです。 と ブッダは発見した または 考えたのです。

その因果をつかって 考えるのが 出家です。 ブッダの頃は 出家は 考えるが 在家は ほとんど考えない。 在家がこまったら よく考える人の集団である 出家に お伺いを立てていました。  その時 在家が出家に対してお礼するのが 布施おふせ です。 一方 在家から出家にわたすものに 食べ物があります。 乞食(こつじき)です。 こちらは 出家は働かないので食べるものがありません。 だから 出家が在家に食べるものをこう くれと言うのです。 礼儀では お互い無言です。

日本に伝わった仏教は 大乗仏教で 出家が 在家に対して 良いことをする という 宗教に変化したものです。 さらに 仏教の考え方に基づいて 天皇家などが 被統治者に良いことをする 国家を統治する ということに 使われました。 さらに 出家と在家が曖昧になっていきます。 鑑真が日本に出家を作ろうと 日本に やってきましたが 時すでに 遅し。すでに、天皇家が 仏教を利用していました。  国家が 被統治者に 良いことをする ということから 仏教が 被統治者に 良いことをする というように変化していきます。  日本の現代の仏教の 特徴は 出家と在家が あいまい。 人は 仏さまになにか良いことをしてもらうという考え。が 特徴です。


出家が在家の相談に答えるために どんどん勉強します。 因果をつかって 考えます。 新しい仏さん 新しいお経さんが できていきます。 在家も 出家を より 頼るようになります。そして 仏教は変化していきます。