2019年9月26日木曜日

本 大乗非仏説をこえて 大竹晋 著 国書刊行会

この本は 大乗仏教、日本の仏教を 膨大な資料を調べて 考察したものだ。 結論は大乗仏教は歴史的ブッダの仏教とは異なる宗教である。と筆者は述べているP248.
 わたしは現在の宗教ということばを 歴史的ブッダの仏教、と 大乗仏教 という 2つの仏教に適応すれば そうだろうと思う。
 歴史的ブッダの仏教は現代人の考える宗教とは 異なるものであったと思う。現代人の定義する宗教は 神の存在する精神世界とか思想のことを意味している。そしてそれを信じるとか信じないとかの精神行動を伴っている。
 歴史的ブッダの仏教は 精神世界や思想だけではなく 政治 経済 労働 人の生物としての営み を 含めた 人間の生活全部を指していると 思う。それは かなり具体的なものだと思う。 

 それは
1.バラモンが 神からの お告げを 人々に伝えるのでは なく ブッダ自身が考えたものを伝える。バラモンのお告げを否定するためにひたすら 考えた。 
2、自分の考えを伝えるために 学校のようなものサンガを作る。サンガのメンバー 出家者 と メンバーでない人 在家者 は まったく異なった生活をする。
3.在家者は サンガのメンバー 比丘 の 生活を支える。比丘は労働はせず 子供も作らず もっぱら 思索にふける。 労働とくに食料を作ったり 性行動はしないので、思想を次の世代に伝えることはできなくなる。悪いことをしないで 在家者のためになることをアドバイスする。その代わり 食べ物をいただく。 子供を次世代のメンバーにならせるために いただく。
4.在家者はサンガをささえる大事な集団であるから 五戒をまもって いただく人とする。サンガをつぶしそうなひとは在家者として認めない。それ以上のことは在家者に望まない。
5.比丘になるための試験は厳しく、 比丘を続けるつまり 食べ物や 子供をいただくための努力は律によってこまかく規定されている。

というのが 歴史的ブッダの仏教ではなかろうか。 思想だけではない。

大乗仏教は 頭は良いが律を守れなかった人や サンガのメンバーになれなかった人が 考え出したものではなかろうか。  インド 中国 朝鮮半島 から 日本に伝わってきたとき まだ サンガの構造は 残っていた。鑑真や授ける僧を 日本に招いてる。 しかし 菩薩戒を 作った時点で まったく 消失してしまった。 法皇 院政 の 時代には 僧 や お経が 政治の道具に変質してしまっていた。 浄土宗や日蓮宗や禅宗の時代になって も サンガは作られず 日本の僧 や 僧の考えに 依存する 大衆の 宗教へとなっていった。 江戸時代には 僧は税金の集金がかりであり、 金を持った特権階級となっていった。坊主憎けりゃ袈裟までも。 弔いという仏教からは出てこない人間の感情を坊主が操って いわゆる 葬式仏教と なってしまった。 良い人でなければお布施は集まらないので 徳の高い 僧がもてはやされた。

 座禅、瞑想、ヨガ、唯識、マインドフルネスが 流行っているが、 それらは 徳の高いということへの 憧れや 悟りというある種の精神状態への 憧れ なのでは ないかとおもう。 歴史的ブッダの仏教での 考えはない。 ブッダの考えたことはバラモンの上に立ちたいと思うクシャトリアの考えだけだったのかもしれない。


2019年9月23日月曜日

本 大乗非仏説をこえて 大竹晋 国書刊行会

p135
福徳を積む、人として完成して行く道
と書いてある。
子供の頃ちゃんばらで遊んだ。無心の境地とか円月殺法とか 訳のわからんことが起きるのではないかという希。
そういうことを言っているように思える。
大乗仏教はここにかかれたようなものではないと思うのだが。


2019年9月22日日曜日

本 大乗非仏説をこえて 大竹晋 著 国書刊行会

天城越え 石川さゆり 作詞 吉岡治
ーーーー
誰かに盗られるくらいなら
あなたを 殺していいですか
寝乱れて 隠れ宿
九十九折り 浄蓮の滝
舞い上がり 揺れ堕ちる
肩のむこうに
あなた・・・・・・山が燃える
ーーーー

私はこの歌が演歌のピークだと思っている。

これは もとのブッダの教えとは 真反対な 感情の歌 だが 日本の大乗仏教の感覚では 美しい し  演歌のピークと 私が思っても 当たり前 と ほとんどの人が いうかもしれない。

この本は 帯に あるように 
原始仏教、部派仏教とは異なる大乗仏教の存在意義を明快に説く 斬新な大乗論 

2019年9月19日木曜日

本 東アジア仏教史 石井公成著 岩波新書

p24 「五蘊」という表現ーーーーー「縁起」の考え方だ。釈尊は、個人の意思に基づく善悪のおこないとその結果として残る「業(カルマ)」だけを重視しており、神秘的なものに頼ることはなかった。このため、仏教はインド思想の本流から外れることになったのだ。

と 書いてある。 私見。 本流 バラモン教とカーストで成り立つインド社会を変えるために 仏教という教え、システムを作った。意図的に外した。 暴力は使わないが当時としては現代語でいう革命だったと思う。

2019年9月18日水曜日

本 東アジア仏教史 石井公成著 岩波新書 2019年2月20日 第一刷

日本の仏教が多様であり 最近の知見から 従来教えられてきた仏教とは異なる伝わり方をして 現在の日本仏教が発展してきたと 書いてある。 三国仏法電通 と 大乗起信論 という 日本仏教の 元締め の 考え方の 変更だ。東アジアの仏教が東に向かったり西に向かったりして現在まで変化し続けているとも書いてある。
また現在ある日本仏教の3つの 釈尊のイメージを シンプルに書いてあるので それを頭に入れておくと考えやすい。  p2を引用。
弥勒菩薩、 阿弥陀仏、観音菩薩 の 3つだ。

2019年9月10日火曜日

本 ブッダが説いたこと ワールポラ・ラーフラ 著 今枝由郎訳 岩波文庫 青

p43 この仏教的態度は正統バラモンたちが、自らの伝統と権威を唯一の真実と信じ込み、民衆にそれを受け入れるように容赦なく強要していた時代にあっては、とりわけ高く評価できる。

p32 ブッダは彼に、今まで指示した先生たちを従来通り尊敬し、支持するように促した。

 ブッダは思想の自由をみとめとほかの思想に寛容であったと思われるが バラモンにはそうではない。 仏伝では ほとんどブッダがバラモンより優位であると 言っている。 こう考えると 仏伝はやはりブッダが亡くなった後の作り話か?  ブッダは現実的 実用的なことの説明だけが 教えであり 嘘はつかず わからないことは 知ろうとすることが大事だと言っている。説明してないことの裏には何もない。秘密の教えなどない。
 

本 ブッダが説いたこと ワールポラ・ラーフラ著 今枝由郎訳 岩波文庫 青

第二章 第一聖諦ドゥッカの本質
ここで五蘊の話が出てくるが この訳では五集合要素となっている。 感覚 で 目、耳、鼻、舌、身体、心 が出てくる。  私も含めた多くの人は 知覚の”情報”として 表現してしまう。 さらに 情報の流れ あるいは 処理の 仕方を 頭の中で起こっている現象として 考えてしまっている。
しかし この本では ”情報”という言葉は 使わず 話を進めていっている。 
 なぜか著者、訳者がそうしているかは今のところ分からない。 けれど 五集合要素、五蘊を理解するためには大事なことのような気がする。

 脳科学や情報工学では 情報という言葉を普通に使っているが、仏教の教えでは つかわれては いない。

2019年9月9日月曜日

本 ブッダが説いたこと ワールポラ・ラーフラ著 今枝由郎訳 岩波文庫 青

仏教の知識を整理しようと思って以前に買ったものを 引き出して読んでいる。 いろいろ 自分が思っていることで 同じこと 違うこと 新しいと思われることが 書かれている。

 P26
もしブッダが「救済者」と呼ばれるとすれば、それはブッダが解脱すなわちニルヴァーナいたる道を発見し、提示したという意味においてでしかない。道は私たち一人ひとりが自ら歩まねばならないのである。

 救済、慈悲は 上記のことの 解釈が 発展してそうなったのかもしれない。
ただ上の文章の出典がどこなのか分からない。が 仏教の大きな分かれ目かもしれない。

2019年9月3日火曜日

本 一茶を知る 一茶を書く 矢羽勝幸 著 笠原聖雲 書 ほうずき書籍

p108
 ともかくも あなた任せの年の暮

この世のこともあの世のことも 阿弥陀様にお任せして この世で ゆらゆら 浮いていたい という 一茶の気持ちが伝わってくる。