2018年11月30日金曜日

自分の仏教観

自分の仏教観を知るには日本仏教の歴史を知る必要がある。
キーワード
仏教伝来 朝鮮半島の仏教 中国の仏教 唐時代の仏教と儒教の対立 聖徳太子 篤く三法を敬え 国家仏教 鎮護国家仏教 秦氏 太秦広隆寺ミロク菩薩半迦思惟像 法隆寺百済観音
百済寺  遣隋使 しょうむ天皇 光明皇后 がんじん 戒壇 とうしょうだいじ 娘こうけん天皇
奈良大仏るしゃなぶつ 国分寺 行基 救済 私度勝手な出家 家族制度 儒教 山上憶良 天皇制 カンム天皇 平安遷都 比叡山 高野山

行基の個人の救済思想が大乗仏教 阿弥陀信仰の流行につながる?

キリスト教の最初も救済思想ではなかったか。
ブッダの仏教に救済という考えは有ったのか?
梵天勧請に救済という考え方が含まれるのか
日本仏教に小乗仏教的な考え方が最初は有ったのかどうか?   大仏でかわりさらに行基で急速に変わったのではないか?大乗化した?


2018年11月14日水曜日

社会の二重構造は必要

ほっとけば中国みたいに 我先き欲が 広がり極端な格差社会となる。
 日本は社会保障のお陰で 格差社会が 見えにくい。 社会保障が 減っていくと 格差社会は ハッキリ 見えてくる。
 一方 一党独裁 階級の無い社会を目指した ソ連 や 全体主義のナチスは 崩壊した。
 ある程度の 格差がないと 欲がおかしな方向に行き 生きていても 面白く無い。

 いま マインドフルネスやユイシキ 瞑想 座禅 など 仏教の思想的な側面が もてはやされている。
 
 私は 出家と在家という 2重構造社会を推奨したい。出家は欲を捨てようとする集団 在家は 欲に苦しみ欲を楽しむ 困ると出家に相談する。出家は在家に食べさせてもらう集団。 

2018年11月2日金曜日

あらためて 空

日本の哲学のなかで 私 や 生や死 を 論じている。和辻哲郎、中村元のいっていること 無常と無我と空 を 何気なく並べて 同じような 言葉として 使っている。生死の無常感を日本人は 持っているのだ という。

 私はその考えに賛成できない。世の中を観察することによって 無常 いつも同じではない。がわかる。それは 法 因果 があるから である。 こうなったから こうなる。ということがつづく。それが無常。 無我は 私自身がこうなったこうみえているという法で成り立っており
当然 無常。それが無我。
 空はまだわからないが。 色即是空空即是色とあるように 因果の法とは無関係に そく 空に なる という 存在を 仮定したのでは なかろうか 。法を越える何かを認めなければ説明でにないことが あったのでは なかろうか。
 2乗すると-1となる i  は そう考えたらいろんな ことが 説明できる 便利なものだ。それと おなじように 空は そう考えたらいろんな ことが 説明できる 便利なもの ではなかろうか。

 しかし 一方極端に大きい 極端に小さいことを 説明するのに 因果の法則を連続して 考え近似する という ことも ありうる。

2018年11月1日木曜日

秋の日のヴィオロンのため息の

私は 上田敏の 訳を とうとうと読む 先生が 嫌いだった。
英語の古語の詩の朗読も あまり好きではない

宗教改革やルネサンスの原動力となったものに ラテン語文化のギリシャ語文化への接触 ヨーロッパの言葉への聖書の翻訳 修辞学 印刷術が あったと書いてある。その意味でエラスムスの書いたものは 言語で読まないといけない などと いわれている。飾った言い回しが すきになれないし、一人で読むにはハードルが高すぎる。
 一方 仏教には 短い般若心経ですら 呪文のようなものがある。 上座仏教は お経の言い回しが共通語だ。私には全部が呪文だ。文字は 説明文に過ぎない。 やはりハードルが高い。
 イスラームのクルアーンもクルアーン独自のアラビア語だ。やはりハードルが高い。

 アマチュアは偉い先生の書いたものをよむしかない。ビデオも?