2011年4月16日土曜日

大事なところ

ブッダのさいごの言葉 上 田上太秀 
とはいってもスッタニパータでは涅槃の境地は秤などで量って目で確かめられるものではないとも述べています

・・・   ではまったく知る術はないのでしょう か


すでに涅槃に達した人の教えにしたがえば、つまり一切の亡執を断てば涅槃の境地に入れるといわれる このおしえを 実行すれば、誰でも涅槃を得ることができると長老も説いたのです。

わからないことを 勝手に正しいと言い出した長老が大乗仏教の言い出しっぺと言うことになります 論理の飛躍があるのです

そこが宗教としての仏教の始まりといえます。

と 私は今考えています。

誰かコメントをください

大乗仏教への分かれ目

けいじじょうがくに入るか否かの問題  経験してないのも 見たことのないもの 死んでからの世界 彼岸 それを深く想像し考えるのが 大乗仏教  そんな証明のできないことは 触れないのが元からのブッダの教え

蛇の章の解釈の仕方が異なる

2011年4月13日水曜日

震災と原発事故にたいして

比叡山、高野山、本願寺、知恩院の僧侶の方
何か発言してください。 黙って祈っていても何も伝わらない気がします。
くるんでいる方の話を聞くなら現地に行かないとだめだと思います。
テレビを見ていると、避難所に仏さんはなく、数珠を持った人もいない。
現実の苦痛にたいし、祈るより、考えて行動することが大切かも。
石川遼ちゃんはよい。

2011年4月10日日曜日

きんぷせんじ

きんぷせんじ 蔵王堂
役行者とブッダをつなぐものは何か?

この世もあの世もすてるのだ

アルボムッレ.スマナサーラ 原訳 スッタニパータ 41ページ

それは 彼岸に行く のではなくて 此岸も捨てて 彼岸も捨てる と言うことです

2011年4月8日金曜日

大乗仏教典入門より

空=シューンヤ=0
なんにも対応せず、しかも実物がない、にもかかわらず、それがなくてはならない。

インドには祖先崇拝がない

大乗仏教典入門 般若経 三枝充直? 17ページ
先祖崇拝ということは インドにはほとんどなく、しかし中国では古くから行われていました。
中国で作られたお経もある 盂蘭盆経
仁王経 鎮護国家の思想がはいる

大乗仏教 どの部派とも直接関係のないところから生まれてきたのだろう