2019年2月27日水曜日

五戒 の 1つ 殺してはならない の起源

ヒンドゥー教 の お祭り で 9日間。3つ女神がのりうつって 生け贄をささげ 豊作などを占い祈願する。子羊の首を落としその血液を憑依したひとにのませる。憑依するまえに 麻薬をのませたり、鎖で背中をぶったりする動作もあった。という ビデオを みた。国立民族学博物館。

そのときふと思った。ブッダはこの生け贄はやめた方がいいよと言ったのではないだろうか。

2019年2月25日月曜日

本 音楽からインド社会を知る 寺田吉孝著 臨川書店

p10
インドの古典音楽のように音楽の伝承が個別で濃密な師弟関係のもとで行われてきた文化では、調査の関心が音楽的側面にあるにせよ、より人類学的な興味に基づいているにせよ、師匠に弟子入りをして音楽を学ぶことが望ましい方法であると考えられてきた。

 ーーーーーー
わたし
ブッダがカーストを否定し発明した仏教の存在理由、カーストが現在まで残っている理由 が わかるかもしれない。

本 宗教人類学入門 関一敏 大塚和夫編 弘文堂

はじめに を 読んで 違和感を覚えた。
考えるきっかけとなった事実を 提示し そこから 考える道筋を説明し 考えた結果の予測を示してほしかった。
しかし、この本のはじめには そうではなかった。過去の考えたこと先入観から出発点し 考えるという 形式をとっている。
 仏教では論を論じることはしない。経の中にも偽の経もある。

2019年2月23日土曜日

本 国立民族学博物館研究報告 43(2) 121ー157(2018)

アナガーリカダルマバーラのブッダガヤ復興運動とインド 外川昌彦

という 論文を 民博で 買った。

 素人目でも 捉え方が 悪い。
Buddhist 仏教徒 の ことを 一括りにして 考えているから 問題の本質が見えてこない。
 冒頭筆者はこう言っている。
p123
 もとより本稿では、ダルマバーラの思想や運動を網羅的には整理することはできないが、特にブッダガヤ復興運動を中心としたインドでの活動を検証することで、 ーーーーー

とある。
 ダルマバーラの思想が ブッダの教えなのか 大乗仏教的なのかで 大きく異なってくることの 認識がなく もとからそこを 考えることを放棄している。のである。

2019年2月21日木曜日

本 社会苦に挑む南アジアの仏教 関西学院大学出版会

副題に BRアンベードカルと佐々井秀嶺による不可触民解放闘争 とある。
佐々井秀嶺氏は龍樹の仏教思想を持った仏教僧と書いてある。 ブッダが始めた仏教とは 異なる。ブッダはバラモン カーストの上に立つ教えを説いている が 空 、慈悲 、 差別 、平等 について 強調していない ように 思う。 

 不可触民の間に広まっている仏教が龍樹の仏教であると 再び バラモン カーストの中に 埋もれていくのではなかろうか。

 不可触民の間に広まっている仏教がどのようなぶっきょうであるのか 確かめる必要がある。

インドにおける仏教の始まりとおわり。またはじまり。

BC500年頃
ブッダは バラモン カーストのより 優れた思想 社会 を 目指した。法、僧つまり 教えと出家構造 からなる 仏教だ。
その後 仏教がインドから消滅した。教え、出家構造が なくなった。 仏教がヒンドゥー化したからと言われている。つまり仏教徒がどこかのカーストに組み込まれた。バラモンをバカにすることがなくなった。ということである。

 現代 不可触民 の 一部が 改宗仏教徒である。 つまり 仏教はカーストとは共存できないのである。

 仏教の本質を知る大きな事実ではないか。

本 現代インドに生きる改宗仏教徒 舟橋健太著昭和堂

p004
コピーです。
インドのなかにも 仏教を考える現代人がいる。



2019年2月17日日曜日

般若心経 の 意義

般若心経を読みとく 竹村牧男 著
から わかったこと。
法を理解するだけではだめ。空を導入することによって 苦 災い を 救う ことができる。それを するのが 菩薩。 空について 説明が 書いてあるが 私には理解できない。空の必要性については 理解できた。


2019年2月9日土曜日

お水取り 国立奈良博物館

二月堂は 大仏殿や戒壇堂から離れている。手向け山神社にちかい。
 二月堂牛玉札の板木が展示されていた。
神社のお札のようなものだ。
 二月堂神名帳1巻 日本各地の神々を二月堂の守護神として勧請するためのものとある。 有名な神社の名前が500以上でてくる。気比 気多 熊野 走湯 竹生島 住吉 白山 賀茂神
上下 春日 一言主 松尾 稲荷 月ノ輪 平野 比良 比叡 多度 諏訪 吉田 大原野 など。 
二月堂の本尊は観音菩薩。
 お水取りは 二月堂のなりふり構わずの 一大行事 だったのかもしれない。
 
 

鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興 国立奈良博物館

どうやって戒律を復興したのか興味があった。
なんのことはない インチキだ。 覚盛上人は 1236年 東大寺法華堂にて、自誓受戒(師からではなく自ら誓って仏の戒を受けること)。 鑑真が日本に戒を授けるために大勢の僧と共にやって来た。その意味は消失していた。その後の唐招提寺はただの寺となってしまっている。

2019年2月8日金曜日

無常 と 無常観

方丈記や徒然草に出てくる無常観
なにかを見て、経験して 無常を感じとる、そこに美しさを求めもう一度見たり経験することが無常観。

無常 そのものは つねならむ これが それになる 法則 理解する道具だ。 感情が入り込む余地はない。文学ではない。

区別して 考えなければならない。




2019年2月4日月曜日

本 サピエンス全史 ユヴァルノアハラリ著柴田裕之訳 河出書房新社

p39あたり
噂話 説 と 川の近くにライオンがいる 説 など に よって 認知革命が おきる。

伝説や神話、神々、宗教は 認知革命に伴ってはじめて現れた。

そのように 思う。 しかし それらは集団での行為である。
 いっぽう 個人の思い:近親者の死にまつわる感覚、生老病死のおそれ。むさぼる欲。
 団体ではなく個人であるが 宗教的行いのようにも見える。 逆に宗教からそれらを切り離したり 宗教者は 関わらない方が良いのかもしれない。

2019年2月3日日曜日

メモ 国民国家とキリスト教

国民は国家と契約を結んでいる。 権利や義務 という契約であり それを守ることによって 国民は国境のある国家に 属し 生き続ける。

人間は神と契約を結んでいる。人間は神が造ったもの であると確信するという契約であり、それをまもることによって 人間は神に属し生き続ける。

メモ 縁起

Aブッダの発見
これがあるとき、それはある。これが生じるから、それが生じる。これがないとき、それはない。これが滅するから、それが滅する。

これが それで それが これとなる。 となる ことを 縁起。これも それとなるから 無常。 縁起で無常 という きまり法が 存在する。

Bブッダの教え
1、法を理解し
2、縁起の中身 これ と それを 考える。

2019年2月2日土曜日

ジャイナ教

仏教と同じ頃にインドで起こり 現代まで インドで生き続けている。不殺生は仏教より遥かに厳格だ。虫も殺さない。踏まない。 商人が多いと聞く。ヒンドゥー教 カースト の インドでずっと生きている。
 不殺生で人工比率が少ない人々が 商人として 繁栄し続けるということなのだろうか。

2019年2月1日金曜日

本 仏教論争「縁起」から本質を問う 宮崎哲弥著 ちくま新書

p18
ところが実は、先のごとき疑問、「何の縁によって何が生じるのか」や「その『法』にはいかなる意義があるのか」に対し、仏教は端的な答えをもちあわせていない。

= →← ⊂ ⊃ も 縁起や法 と 同じように端的な答えをもちあわせていない。

生じたものや意義について論じているのではない。 という仏教と数学とに にているところがある。

いまでは当たり前の ' = '  なんて ブッダの時代紀元前500年頃にはなかった。 それを 発見したのが ブッダ なのではないか。