2013年8月14日水曜日

遊雲さん 父さん 

お父さんの心の中に残っている事は 一般化 あるいは 普遍化 できるのだろうか。 息子である遊雲さんの事を考えたときだけに起こったことなのだろうか。 ほかの 我が子、妻 、さらに ほかの 死んでいく人々の事を 考えると 現れることなのだろうか。 さらに、生きている人々のことを考えても 現れることなのだろうか。  

遊雲さん父さん

本の感想の続きです。息子が病気で亡くなっていくところは、どうしても泣いてしまう。 自分を冷静にして最後まで読んだ。

お寺での法話の話が出てくる。

同じテーマで3回の法話をおこなって満足のいく話ができたのが最後の1回だった。浄土真宗の僧侶はそれで許されると言うことなのか。

生を楽しんでいる息子遊雲さんと死なないでほしいとあがいている父さん。阿弥陀如来にかこつけていろいろ理屈をつけている。

阿弥陀如来やお浄土が出てくるが、そういう難しい言葉に置き換えているのでは無いだろうか。 お父さんが遊雲さんの事を思い、自分のことを考えた末に自然とみえてきたことがあるのだと思う。 生きているお父さんの心の中にある事なのだと思う。なんまいだと唱えなくとも 本1冊以上のことを真剣に思い、考えたから お父さんの心の中に残っている事なのだと思う。