前回理由のわからない単語と出会った時 について述べた。そのなかの 考えない 良いものとして信じる ということの危険性について述べる。
松本サリン事件や地下鉄サリン事件で言われた 教祖 ポアという言葉。松本智津夫は慈悲の心でポアする、その手下もそれを信じて ポア サリンをばらまくことを正当化していた。考えないで 慈悲イコールポアと信じてしまったから 起きた。慈悲という言葉は響きが良い。けれど 仏の慈悲というのは あるはずもない。後の人が考え出したものだ。何も考えないで慈悲だと言ってしまえばなんだなって正当化されてしまうのだ。 慈悲の心でポアすると言ってしまえば サロンで人を殺すことすら正当化されるのだ。 おわかりか。 日本軍が慈悲の心で侵略戦争を起こしたのもその例だ。 元々仏教信者になるためには五戒を守らなければならない。不殺生 つまり殺しては行けないのだ。モーゼの十戒にも殺してはいけないがある。いくら愛を語っても殺しては行けないのだ。 慈悲や愛がいけないのではなく そこから ポアや殺人を導き出した 教祖や何も考えないでその論理を信じた信者がいけないのだ。 なんにも考えないのが行けないのだ。