このブログを通して、自分は何を勉強したかったのか。 今枝由郎さんのスッタニパータ と ダンマパダを日本語訳を読んでわかってきた。 これらの本にはブッダの教えがわかりやすく日常語で書かれている。 ブッダが紀元前5世紀頃の世の中、人々の営み、苦しみをみて、聞いて考え抜いたことが書かれている。 論理の矛盾なく、信じ込む作業もなく、自然と導かれる言葉が書かれている。 それを理解し実行していくのとが大切なことである。しかし、自分で考える部分がほしい、ブッダの言うことだけに頼りたくないと言う気持ちもある。 また、自分で考えても、結局はブッダの言うことにたどり着くだろうとも思われる。 孫悟空がおしゃかさまの 手のひらに乗っかっていることと同じ事かな。
ブッダの教えを 後世につたえるために 出家という 人たちが必要だったのかもしれない。その人たちが ブッダの教えにいろいろ修飾したために分かりにくくなったかもしれない。 何万回と念仏を唱えても ブッダの教えを理解できないし、実行も出来ない。 考えのない瞑想を何万時間行ってもブッダの教えを理解できないし、実行も出来ない。
これからの勉強はブッダの教えを更に知ること。 修飾がいつ、誰によって、何のために入れられたかを知ること。
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