清水俊史著大蔵出版
この本は本題に入るまでが長い。なぜこの研究が必要かが 書かれていて そこに目をつけた人が意外と少ないことが書かれている。
キリスト教 イスラム教において 聖典に書かれていることが 矛盾する事態となった時に つまづいた 時に 解釈 をして 正当化してきた と述べている。
大乗仏教ではもちろんそのことに気づき新たな経が書かれてきた。そのことが パーリ三蔵や上座仏教の聖典の中に見られると 筆者は 言っているのである。
奇跡を信じたり おどしにくっしるのは確かに ハードルがある。 それを解釈によってハードルを乗り切ることができるだろうか。さらに 奇跡やおどしだけで無く どう考えても 真実であるということが あれば それは 信仰のハードルではなくなる。 そのような 教えや 神や 聖典が 存在するのだろうか。 私は今の所時間は逆行しない 生き物は死ぬが 生には戻らない。 かってに 殺したりしてはいけない などは いまのところ真実であると 信じている。解釈を加えることはないと思っている。
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