2025年10月18日土曜日

五戒 再考

 不殺生と不妄語は 現実と対比しながら自分の生活もみながらそれが正当性があるものと私は思っている。


他の3つについて考えてみよう。


「盗みをしない」(不偸盗戒)、「邪な性行為をしない」(不邪淫)「酒を飲まない」(不飲酒戒)の5つを指します。 


についてである。


盗みをしないは当たり前。他人が作ったり考えたものを奪ってしまう。人のものは私のものというどこかの国がやっていそうなことだ。


酒を飲まない。は キチガイ水は呑んでは思考が停止してしまうので まず思考を優先する仏教では当たり前のことである。


残る不邪淫。これが最もややこしい。性行をしなければ子供は生まれず子孫に考えを伝えることはできない。日本の仏教浄土真宗は結婚可 つまり性行為可である。 夫婦以外の性行為が可であるかは分からないが 夫婦は人間が考えたものである。 不邪淫をどこで線を引くかである。ほんとにややこしい。

2025年10月5日日曜日

女性の僧侶

 FBに投稿された 女性1人の旅芸人の写真を見て ふと思い出した。4人の女性の僧侶。

1,アンジュさん 野々市に居を構えていた女性の僧侶 たぶん聖。私の小さい頃に家に有った仏壇の前で 御経を唱えていた。

2,お上人さん 私の診た患者さんの一人が寺で下働きをしていた。その寺の女性の住職。後に往診に行っていた。だいぶあとになってどんな宗派かと住職に尋ねた。すると難しい御経を勉強することはない。一生懸命祈る 御経を唱える事が大事だと 言われた。

3,近くの寺の本堂でライブ演奏と歌唱をしていた 僧侶でシンガー。 声もきれいで声もきれいだった。CDも買った。たまたま最近聴き直してみた。

4最初の比丘尼サンガを作った人。ブッダの叔母かな。ブッダの教えに感動して 比丘サンガの一員になって教えを勉強したいと言っていた。しかしブッダは断り続けた。ブッダのいとこで でしのアーナンダに頼まれしぶしぶ比丘尼サンガ作ってもよいと言われた人。マハーパジャーパティー。


来迎図に描かれているようなあの世に連れて行ってくれるような音曲を奏でる女性像ではない。独立した 厳しい女性の僧侶だ。

2025年9月30日火曜日

不惑

 不惑と言う言葉がある。私はたぶん不惑には達しないのではないかと思う。今朝もうなされて目が覚めた。あーあ。そこでふと仏教用語を思い出した。阿羅漢と涅槃。阿羅漢は頭で考えて行動するといつでも正しい。涅槃は頭で考えなくても常に正しい。 正しい が 出てくるが これを定義するのは難しい。


2025年9月19日金曜日

正しいものは何であるかを身につけること

 尾崎豊の曲を聞きながらふと思った。

自我が確立する10歳ぐらい前に親は 何が正しいことなのか 子供に教えておかないと 子供は迷う。迷子になる。ふとそう思った。

2025年8月25日月曜日

本 自分とかないから しんめいP著 sanctuarybooks

 自分の言葉で書いた哲学書だ。

ブッダの無常 無我 と 空が区別がつかなかったがこの本を読んで 区別がつくかもしれないと思った。

無常や無我には 時間軸があり 空には時間軸がないということだ。 いづれも実と虚を言っているがである。

さらに実感できるように考えを進めたいと今は思っている。

2025年8月24日日曜日

五戒の不妄語

 うそをついてはいけない ということ

これをすべての人が守れば 他人を信用せよ あるいは他人が信用できるということになる。

しかしそうは問屋がおろさない。

五戒と欲

 五戒は自我が確立する前に身につける。一方自我が確立すようになると 人間という種族を残したいという性欲 生きたいということに代表される食欲もはっきりしてくる。 五戒はそれら性欲や食欲とバランスをとることによっても成り立っている。どちらもなくなっては 人間の存在意義はなくなる。