2011年3月30日水曜日

大乗の仏道 東本願寺出版部

このほんの中で最も気になるところ。38ページ。”第2節 正覚の内容  縁起の理法 釈尊は無益なことを悟り、六年間にわたる苦行をすてて、菩提樹のもとに端座観想し、正覚して仏陀となったのであるが、その正覚の内容はどのようなものであったのか。それを直接知るすべはないが、諸伝の示すところによれば、*****  といわれている。”  科学の論文であれば 諸伝の示すとろろによればと書いてしまうと、すぐに 廃棄されてしまわれるであろう。  このほんの最も大切な部分が曖昧にかかれている。 このような発想こそが、宗教なのかもしれない。 真実か嘘か分からないものを真実だと言い切り、信じ込ませる。これが宗教なのかもしれない。 

わかる仏教史 宮元啓一 著

この本を読んで、現在の日本の仏教がブッダの教えから遠く離れたもの、連続性のないものということが分かった。 ブッダの教えは今の時代の宗教とは異なる。むしろ科学に近い。 私自身の家は浄土真宗であった。近所の方からは正信偈を覚えるように言われたこともあった。  浄土真宗は仏教であり、宗教だ。 科学の手法では乗り越えられない、信じる行為が必要だ。

2011年3月19日土曜日

ブッダのかいた物がない

ある人から困っていることを打ち明けられたとする、一生懸命考え抜く。それを言葉にして告げる。具体的で現実的。
 文字で考え抜くことを表してしまうと困っている事の現実から離れてしまう。観念だけが先走ってしまう。 

 そいうことをおそれたのではないだろうか。

考え抜くのは具体的で 春か彼方まで一般化し また具体的なところに戻ってきて 答えを出したのではないだろうか

写真は桂川 堤防 本日 今。

2011年3月17日木曜日

宗教と真理、科学の違い

真理かどうかわからないか、考えきらないのに信じてしまう事を
宗教と読んでいるのだろうか

仏にとって神とは

説法を始めたきっかけを作ったもの
考えても考えきれない意志又はスイッチ

2011年3月8日火曜日

私の考え メモ

日常の苦しみを考える。忘れる。解決する。 ほんの小さな苦悩から出発して、人が存在する苦しみ、さらに生物が存在する苦しみ、さらに分子、原子、クウォークのあり方まで考える。  きっとブッダはそのように考え抜いたのではないかと想像している。 ブッダは文字を知らなかったのだろうか。それとも文字や言語以上のものを考えていたから文字で自分の思想をつたえることができなかったのだろうか。

ブッダが考えたこと

春秋社 ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ 宮元啓一 著  

肥大化した”全知”と肥大化した”慈悲”が出会うとき   という章の中で
オウム真理教の”ポア思想”なる殺人肯定論の原型とういう 段落がある。

日本の大乗仏教がなぜ正面きってオウム真理教を批判できなかったかが分かった気がする。

イラスト仏教

仏教を大まかに知り これを目次にして勉強していくのも良い。

ブッダの教え

日本人でないひとが書いたもの読むべきである。日本で発達した浄土真宗の先入観が入らないと思う