2026年5月11日月曜日

空 何度も書いたが 今日は良いかも

 ブッダの頃

因果 は 同じものがとどまらず次へ移っていくという考えだった。原因と結果があって 同じ我はなく無我だった。

更に 時間の経過があった。原因が先で結果があとなのだ。

それがBC500年頃

さらに進んで龍樹の時代 AD150-250ごろ

空が生まれる

ブッダの考えから時間の経過を取り除いた思想か

とふと思った。因果の後先は考えなくてもよい。因果は常にあるが時間の経過とは無関係に因果があるまたは無い。と言う考え方ではないのか。

般若心経の有名な下り偈。

色即是空空即是色。 この即が龍樹の考え方の基本にあるのでは無いだろうか。 

と ある朝思った。2026年5月11日。

2026年4月29日水曜日

本 欲望の仏教史

 武家諸法度 など江戸初期のこともよく書かれていると。

結構私たちは規則に慣れきってたよった生活をしているが

これは江戸初期になぜか 作られたことなのかもしれない。 と ふと思った。

2026年4月24日金曜日

五戒ドオシの矛盾はあるか

 五戎の中に 殺してはいけない がある

やりすぎの性行動 やりすぎの飲酒薬物の規定はある。

殺してはいけないと ほかの項目同士の競合または拮抗があるのか ふと思った。ある事件で 子が親を殺す。親が子を殺す。という事件はしばしば見られる 結構性衝動が絡んでいることが多い。そして殺すことが5五戎を破っているが その原因は性衝動を収めるためだ。

また性衝動は他人に隠す。嘘をつく。複雑に絡みあう。

さて 五戒の中で優先順位があるのか 決めなければならないのか。 今のところ分からない

areaの意見として 殺人と親族は無関係とかいてあった。私もそんなことがあっても殺人に至る行為とは別物と考えてきたが 割り切れることができないと思う事もある。わからん。


2026年4月17日金曜日

他力のこわさ

 自分自身で考えず判断せず 神任せ 仏任せ という やり方が他力だと 私は理解している。神や仏が 常に 正しい場合は問題ない。他力に慣れてくると自分自身で判断しなくなる。そうした時ある集団の長が他人を殺しても良いと言った場合どうなるのか考えてみよう。 その集団は殺人集団となりうるのだ。 オウム真理教。ドイツのナチ。イスラエル軍。日本の一揆を起こしていた時の浄土真宗。 などなど。不殺生とされているのに 殺人集団と変容するのだ。 これらは 他力でトップが変わると殺人集団に簡単になってしまうことを示している。



2026年4月5日日曜日

加賀の一向一揆など。

 戦国時代には自らの命を大切にしない 戦争が多数起きている。 法華宗の一揆 一向宗浄土真宗の一揆 石山合戦など。政治武力勢力と 宗教団体の戦争ではある。一方宗教団体という生命を大切にするはずの人がなぜそれに反し 戦い続けたのか。多くはトップは逃げている。 阿弥陀仏などにすがって往生できるという宗教思想もさりながら経済的な利権が絡んでいたのではあるまいか。

本 欲望の仏教史SB新書

 第二章鎌倉新仏教の誕生と武家勢力の誕生

私は京都に長く住んでいた。この章には知っている地名人名がたくさん出てくる。そしてそれらの言われ 歴史が 明らかになっていった。ふーんと思うことばかりであった。そしてこの章のおわり

64ページ

祈りは宗教的救済のみならず、徴税、治安、利権独占の手段でもあったのだ。のちに織豊政権の楽市楽座や江戸の寺檀制度がこの関係を再編していく。権力が聖性を利用し聖なる宗教が政治権力を保持すると言う関係性は、形を変えつつも、げんざいも続いている。


思い当たる節 耳が痛いこと あるのでは ないですか。みなさま。

2026年4月4日土曜日

AIという鏡 人の価値とは何か

 佐々木閑 父 仏教学者  佐々木斎生 息子 数学者 共著  法藏館

はじめにより 我執を捨てて生きる という 提案 と書いてある。

この提案に至る 理由が書いてあるほんです。

AIを日常的に使う我々に対する価値観の変化に対する警鐘です。 それに納得するかどうかは 私や読者によります。 さて どうなることやら。

2026年4月3日金曜日

本 欲望の仏教史に触発されて

 鵜飼秀徳著 SB新書 と言う 本のまえがきなどと 従来からの私の知識を絡めて 宗教 そのものを考えてみた。

1,鰯の頭のように個人の感情では宗教ではない。ある程度 多人数の共通した認識が必要

2,人間の感情についての流れ

  自分では手に負えない事柄に対する恐怖 恐れ すがり

  上記のなかで近しい人の死は 手に負えないと同時に 弔いの心も生じる。弔いの心は調査する必要がある

2では Aひとつの神によって起きる手に負えない現象。と B多数の神や複雑な現象を複雑に引き起こす現象がありうる。 Aでは1神教 Bは多神教に当たる 

Aはキリスト教や仏教が当たる B    は 神道があたる。 Bは 死を忌み嫌う傾向にあるかもしれないむしろ手におえないことではあるが 利益をもたらすことが 多いかもしれない。したがって収穫祭 や 日本の祭りなどは多数の神々に 感謝することが多い。 Aの場合は静かに行われる宗教行事が多い。葬式である。

以上のように宗教が分類されるかもしれない。


仏教の中で釈迦の教えは 釈迦や神を信じて頼るというより 自分で悩んで考えて 何かを見つけていくという性格がつよい。そういう意味で 信仰するという方式の宗教とは異なる。しかし 自分で考える事がよいことだと思っていること自体が 信じると言うことのカテゴリーに入る。つまり宗教であると言えるかもしれない。

  

2026年3月5日木曜日

仏教の 色受想行識の識と発達障害

 発達障害者の中に 物の見方や聞こえ方 その後の言語化や統合化 つまり 識  の欠如 に起因することが あるのではないかと考えられるが どうでしょうか。

私たちは普段 五蘊  を意識ないで評価し勝手に判断しています。知覚は直接脳に投影されるのではなく 左右前後に神経線維やシナプスが絡まっていてごく一部だけが視覚野聴覚野などに反映されているに過ぎないのです。 特に知覚を言語化する機構は強力だと私は思っています。

2026年3月3日火曜日

人は簡単そうに言うが。私には。

 愛なし から愛  と  神を信じない から宗教   乗り越えられない大きな壁。が私にはある。

かがおとや さんは 科学と宗教の中で 師に導かれ ある時ふと キリストを信じることができたと書いていた。 アーナンダは  悟りを開くことは なかなかできなかったが 何か棺桶を動かす瞬間にできたと思ったらしい。ある音楽の先生 よく愛について話す。 いつから どのようの機会があってから 愛の存在を信じることができるようになったのか 一度聞いてみたい。

私は死ぬまで愛も神もその存在を信じることができないかもしれない。  けっこう誘導されてサギに引っかかりそうになる。それと似ているのかどうかも分からない。五戒がだんだんと正しいと思うようになったからブッダの教えが正しいと思うようになってきたが、一方そこまでに至る長い道のりがある。急に沸いてきたものではない。

2026年2月25日水曜日

ブッダロイド

 

仏教経典学習のAI搭載 悩み相談にこたえるヒト型ロボット開発 と NHKニュース

 仏教にはたくさんの経典がある。本物 偽物 などなど。 それに 日本独自に発展した仏教もある。一度使ってみたいブッダロイド。私は現在ブッダの教えが ほとんどの正しいのではないかと思うようになってきている。ただ大乗仏教的な経典は まだまだ難しすぎて 理解はしていない。特に空について疑問がのこったまま先に進んでいない。浄土宗や浄土真宗など 日本に広範囲に広がっていった理由についても分かっていない。さらに信仰と仏陀の教え 死者への感情、性欲とブッダの考えについても 分からないことがいっぱいだ。このAIブッダロイドがどう答えてくれるのか とてもワクワクする。

2026年2月9日月曜日

本 高野聖

 今日アマゾンで注文しました。 野々市に昔 女性の聖がいました。 京都にも女性の聖がいました。 いずれも一人だけの小さな寺 一人だけの宗派のように見えました。今回の選挙で女性候補が目立ちました。 宗教 祈り 弔い 女性 について もう一度 考えたいと思っています。この本で なにかヒントが得られるかもしれないと思って 読んでみたいと思います。 聖 というのは 寺に属さない僧侶のことです。

2026年2月7日土曜日

サックス奏者が加わりそうだ。

 北しなの線で飯綱町の僧侶に声をかけられた。群馬県で在宅の末期医療に取り組んでおられる方の講演と映画上映を聞いた帰りだという。その僧侶は以前に仏教の勉強会をしておられた指導者の一人で私の名前と顔を覚えておいてくれていたのだ。いろんな話をした。特に西本願寺のビハーラ活動に関心があるようだった。その僧侶はサックスを吹く。京都でもバンド活動を行なっていたプロでもある。私の予定にサックスが加わりそうだ。

高野悦子 二十歳の原点

 京都市内で立命館大学生だった高野悦子さんが列車に飛び込んで自殺しました。残された日記をもとにお父さんが編集し出版した本です。これが高野悦子 二十歳の原点で 先日 この本の表紙の写真がフェイスブックに投稿されました。 コメントを書く方が多く その本を自宅に持っているという方が大半でした。二十歳は人間や自分の死 自分の生について考える時期でもあります。  

ところで仏教では五戎 キリスト教ではモーセの十戒があります。そのなかでは両方とも殺してはいけないと書いてあります。自分も殺してはいけない ということです。考えても殺してはいけないいけないという答えは出ません。そんなものなのです。水や空気のようなものなのです。 生きててなんぼの世界なのです。 では ずっと生きているユーミンの歌 卒業写真を しぶとく生きている今年卒業の尾関さんと来年卒業の魚住が歌います。