2015年2月26日木曜日

親鸞 普遍への道 中世の真実 阿満利麿 著

ーーーー親鸞 普遍への道 中世の真実 阿満利麿 著 ちくま学芸文庫 316P
だが、法然、親鸞の時代と現代とでは決定的に質が異なる。彼等の時代にあっては、神仏の実在は当然の前提であった。

親鸞が、その存在を疑わなかったのは、決して、阿弥陀如来だけではなかったのである。彼が信じたのは阿弥陀如来一仏であるが、他の諸神諸仏の存在は決して否定されていない。ーーーー


現在 オバマ大統領も 演説の最後には神ということばがしばしば出てくる。イスラム諸国では神は いつでも 実在している。お坊さんは、成仏できるようにとお経をとなえている。

私は 神仏の実在を感じたことがない。 南無阿弥陀仏を唱えてみても仏を感じたことがない。 天のお父様と呼びかけてみても、神を感じたことがない。  正しい事か、正しくないことかを 考えていく事が一番良いことであって、考えないでいきなり神や仏が現れたら、恐怖である。 身も心も訳のわからない所に連れていかれるのはごめんこうむりたい。

現在の私を含めた日本の多数の人々は神仏の存在を感じなくても そのまま死んでいくのかもしれない。

2015年2月14日土曜日

親鸞についての疑問を書き留めておこう。


親鸞は 阿弥陀仏を本当に信じていたのか? 信じる事ができたのか? 何時できたのか?

他力と阿弥陀仏の関係は?

 阿弥陀仏 浄土 を 理論的に正しいと証明するために教行信証を 書いていたのか?

阿弥陀仏を信じ切ることができないから 愚になれば 信じられるのに 。

自分が賢いために、仏の勉強をしたが故に 愚になれなかった。だから それならば もっと勉強したら愚になれるのか それに挑戦するために教行信証を書き続けたのか。