発達障害者の中に 物の見方や聞こえ方 その後の言語化や統合化 つまり 識 の欠如 に起因することが あるのではないかと考えられるが どうでしょうか。
私たちは普段 五蘊 を意識ないで評価し勝手に判断しています。知覚は直接脳に投影されるのではなく 左右前後に神経線維やシナプスが絡まっていてごく一部だけが視覚野聴覚野などに反映されているに過ぎないのです。 特に知覚を言語化する機構は強力だと私は思っています。
発達障害者の中に 物の見方や聞こえ方 その後の言語化や統合化 つまり 識 の欠如 に起因することが あるのではないかと考えられるが どうでしょうか。
私たちは普段 五蘊 を意識ないで評価し勝手に判断しています。知覚は直接脳に投影されるのではなく 左右前後に神経線維やシナプスが絡まっていてごく一部だけが視覚野聴覚野などに反映されているに過ぎないのです。 特に知覚を言語化する機構は強力だと私は思っています。
愛なし から愛 と 神を信じない から宗教 乗り越えられない大きな壁。が私にはある。
かがおとや さんは 科学と宗教の中で 師に導かれ ある時ふと キリストを信じることができたと書いていた。 アーナンダは 悟りを開くことは なかなかできなかったが 何か棺桶を動かす瞬間にできたと思ったらしい。ある音楽の先生 よく愛について話す。 いつから どのようの機会があってから 愛の存在を信じることができるようになったのか 一度聞いてみたい。
私は死ぬまで愛も神もその存在を信じることができないかもしれない。 けっこう誘導されてサギに引っかかりそうになる。それと似ているのかどうかも分からない。五戒がだんだんと正しいと思うようになったからブッダの教えが正しいと思うようになってきたが、一方そこまでに至る長い道のりがある。急に沸いてきたものではない。