宗教について という本
昭和20年11月 北鎌倉財団法人松ヶ岡文庫に於いて行われた座談会の速記に若干の補筆を加えたものである。トビラに書いてあります。
社主(岩野真雄) 古田紹欽 鈴木大拙 柳田謙十郎 務台理作 小野清一郎 下村寅太郎 の 方々です。
”檀徒としての「家」もよくないと思う。家と寺との封建的紐帯が仏教の近代化をさまたげて、いつまでも寺院仏教を葬式仏教にさせているのだ。”
”それであるから日本では、家の家族の一人が深い宗教心を持つ場合は、家を出てしまわなければならぬことになる。”
”しかるに日本の宗教家、とくに現代仏教の僧侶たちなどになると、ほとんどこのような超国家的な面などは見られず、全く軍部政府乃至国民のその時々の主観的感情に媚びて、”
”今の禅坊さんは修行すればするほど、世間と離れたところへ行こうとする。”
”我々は最近右翼の人たちが何か為にするところがあって振り廻した神道論と、日本本来の神ながらの道そのものとは、はっきり分けて考えねばならないと思います。”
誰にも迷惑をかけず、一人静かに死んでいたらそれでよいという方が多い。 その人は、寝るところも、食べ物も、着るものも足りている人である。 働けなくても、健康で文化的な生活を日本国憲法が保障しているのである。 日本国憲法の実現のために、勉強し、働いてきたのではないだろうか。 日本国憲法が現代日本の宗教であるかもしれない。座談会が行われた昭和20年11月にはまだ日本国憲法ができあがっていなかったかもしれない。当時の哲学者たちは宗教とくに仏教を改革することによって、あらたな日本人の生き方をしめすと期待していたようにおもう。
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