ーーーーー今から10年ほど前のことだが、ベルギーの名高い法学者ラブレー氏の招きをうけて数日間すごした時、散歩の道すがら宗教に話題が及んだ。 「あなたの国では学校で宗教教育を行わないのですか」と氏からたずねられたのに対し、私がそうだと答えると、尊敬すべき教授は驚いて立ち止まり、忘れることのできない口調でくり返した。「無宗教! それでどうやって道徳教育を授けるのですか」。ーーーー
この文章から、宗教、道徳の考え方が、私をふくめ多くの日本人とは異なることがわかる。 道徳が宗教に支配され、道徳は教育によって学校で授けられる。
その頃のベルギー人はそのように考えていたとは 驚きだ。
ーーーーーこの問いかけに私はとまどった。どう答えるべきか私には用意がなかった。というのは、私が子供時代にしつけられた徳や戒めは学校で教えられたのではなかったからである。そこで私は何が自分の善悪の観念のもとになったのか、あれこれかんがえてみたところ武士道こそがこれらの観念を私に吹き込んだものだと思い当たった。ーーーー
新渡戸稲造は本を書いて、日本人を西洋の諸国にたいして理解を求めたようだ。 そのころの政府は国体という宗教を立ち上げ、修身という道徳教科書を学校で授けた。 第二次世界大戦後 政府は 日本国憲法という宗教を立ち上げたが、それに基ずく道徳教育は学校では授けなかった。 ただし、道徳が宗教に支配されているという、西洋的考えに従うとそのようになる。
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