2016年8月31日水曜日

ブッダの家出から

 仕事をやめて働いていない自分が 自転車に乗っている。混雑した通勤電車に乗っている。 働いたり 学校で勉強したり 子育てをしている人を 眺めていた。 
 
 ブッダが家出をした時の状況を思ってみた。もしブッダが私たちと同じような ヒト で 人の話をよく聞き 穏やかな性格で ものごとをよく考え、ありもしないことは考えない。そのような 人 だったら。


 何らかの原因で家出をした。
とりあえず 森に隠れた。何か人のためになることをしようと考えた。

 人は生老病死で苦しんでいるから それをなんとかしてあげれば 良いことをしたことになる。
残して来た家族や 民に 申し訳がたつ。もともと自分は人に悪いことはしないし、人から悪く思われたくない。

 働いて食べるのは残して来た家族や民の食料や財産をおかすことになるかもしれない。恵む力のある人だけから食べ物をいただければ、人に迷惑をかけることはない。

 そのようにして 出家した自分と 在家で食べ物を作り子育てをする他人が区別された。 出家した 人のすることは 人に迷惑を掛けず 役にたくことを考えること伝えること。 出家してない人はもともと働いて 迷惑をかけているのだから それ以上に大胆に人のためになることすれば 悪いことも帳消しになり良いことが死んだあとも後世にのこるのではないか。 その考え方が大乗仏教の考え方ではないか。

 ブッダはとても賢い人だったと思う。家出をすることで いろんなことを考え 素晴らしい教えを人に伝えることができた。そのため 仏教には在家と出家の区別がはっきりしている。 大乗仏教の考え方はよいことを他人にするのだから在家から生まれた考えだと思う。出家した人は良い教えを伝えることはあっても ものを生み出したり、ものを人に与えたり、奇跡を起こしたりしない。したがって大乗仏教の振る舞いはしない。

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