山川草木悉皆成仏 と 言う
日本の天台宗の考え方
一方精進料理は動物と植物を区別している。
植物だけを食べて いい子ぶっている。
矛盾している。
2020年4月28日火曜日
秘仏 私の妄想
秘仏はどうして秘仏になったのか。
平安中期までに作られたり、日本列島に運ばれた観音菩薩など。朝鮮半島の移民の村の一部で信仰されていた仏像。 平安中期になって日本の天台宗の権力が一気に高まった。地方に及んだ。移民の村の仏像が破壊されそうになった。そこでその仏像を守るために隠した。それが現代秘仏となっているのではなかろうか。 天台宗が大乗戒で成り立っている日本流仏教であることを 隠したかったので それ以前の移民系の秀作の仏像を破壊しようと天台宗が考えたのではないか。
平安中期までに作られたり、日本列島に運ばれた観音菩薩など。朝鮮半島の移民の村の一部で信仰されていた仏像。 平安中期になって日本の天台宗の権力が一気に高まった。地方に及んだ。移民の村の仏像が破壊されそうになった。そこでその仏像を守るために隠した。それが現代秘仏となっているのではなかろうか。 天台宗が大乗戒で成り立っている日本流仏教であることを 隠したかったので それ以前の移民系の秀作の仏像を破壊しようと天台宗が考えたのではないか。
2020年4月27日月曜日
本 百済寺物語 川上敏雄著 愛東町観光協会発行
1999年5月31日発行
百済寺とその周辺のことの 歴史を 地元のかたが書いた 本だ。
百済寺 とかいて 読みは 二通り。
1、くだらでら
2、ひゃくさいじ
これはどちらも正しい。 もともとはくだらからきた人たちが開いた寺。その後天台宗となってひゃくさいじとなった。ということらしい。
この本 p16 この地域の人の 名前 平群氏、秦氏、調史氏、紀氏、韓国氏 が 散見している。
p12 百済寺は30年に一度秘仏十一面観世音の開帳がなされ秘仏のお姿を拝することができる。その開帳の行事の中に縁起説きという行事があって、十歳前後の男の児を郷中から選んでこの縁起物語を暗誦する行事である。。。。。。。。。。
百済寺縁起物語の内容は次のようである。
この中に出てくる言葉を あげてみたい。
聖徳太子、山猿、観音菩薩像、推古天王、十一面観音、高麗、釈迦如来、五戒十善、衆生を利益し、百済國、竜雲寺
p18
大般若経の完成が、寛治3年1089の供養記によると、平安時代中期には天台宗百済寺(ひゃくさいじ)となっている。天台宗延暦寺の末寺となっている。
私の妄想。ここにも推古天王の時代には高麗や百済など朝鮮半島から観音信仰の仏教を携えて住み着いていた。 平安時代中期に天台宗、京都の寺社の権力、荘園運営が盛んになって天台宗百済寺となった。
百済寺とその周辺のことの 歴史を 地元のかたが書いた 本だ。
百済寺 とかいて 読みは 二通り。
1、くだらでら
2、ひゃくさいじ
これはどちらも正しい。 もともとはくだらからきた人たちが開いた寺。その後天台宗となってひゃくさいじとなった。ということらしい。
この本 p16 この地域の人の 名前 平群氏、秦氏、調史氏、紀氏、韓国氏 が 散見している。
p12 百済寺は30年に一度秘仏十一面観世音の開帳がなされ秘仏のお姿を拝することができる。その開帳の行事の中に縁起説きという行事があって、十歳前後の男の児を郷中から選んでこの縁起物語を暗誦する行事である。。。。。。。。。。
百済寺縁起物語の内容は次のようである。
この中に出てくる言葉を あげてみたい。
聖徳太子、山猿、観音菩薩像、推古天王、十一面観音、高麗、釈迦如来、五戒十善、衆生を利益し、百済國、竜雲寺
p18
大般若経の完成が、寛治3年1089の供養記によると、平安時代中期には天台宗百済寺(ひゃくさいじ)となっている。天台宗延暦寺の末寺となっている。
私の妄想。ここにも推古天王の時代には高麗や百済など朝鮮半島から観音信仰の仏教を携えて住み着いていた。 平安時代中期に天台宗、京都の寺社の権力、荘園運営が盛んになって天台宗百済寺となった。
2020年4月26日日曜日
本 受戒講話 野島宣道述 浄土選書12 浄土宗宗務庁発行
昭和57年6月10日 初版 の 本p4
そんなら戒というものは特別むずかしいことをするのであるかと言えば、一応むずかしい生活の仕方は、戒という名前にて、規定されておりますが、しかしながら平たく申しますれば、法であります。法の道を正しく間違いなく歩いて行くこと、そのことが戒なのであります。 これが戒であるという手、別に心得なくとも、法を外れない歩み方をしておれば、それが戒なのであります。だから戒を説くならば、まず法を知らなければなりません。
戒と法という仏教の言葉が出てきますが、なにを行っているのか ちんぷんかんぷんです。 戒も法も 精神論で 丸め込もうという魂胆が 見られます。戒も法も具体的です。 これ以上この本を読む気にはなりません。受戒講話という名前はひかれますが。
そんなら戒というものは特別むずかしいことをするのであるかと言えば、一応むずかしい生活の仕方は、戒という名前にて、規定されておりますが、しかしながら平たく申しますれば、法であります。法の道を正しく間違いなく歩いて行くこと、そのことが戒なのであります。 これが戒であるという手、別に心得なくとも、法を外れない歩み方をしておれば、それが戒なのであります。だから戒を説くならば、まず法を知らなければなりません。
戒と法という仏教の言葉が出てきますが、なにを行っているのか ちんぷんかんぷんです。 戒も法も 精神論で 丸め込もうという魂胆が 見られます。戒も法も具体的です。 これ以上この本を読む気にはなりません。受戒講話という名前はひかれますが。
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