2021年3月9日火曜日

本 AI・ビッグデータの罠 キャシーオニール著 インターシフト

この本のなかに 代理データ という言葉が なんどもでてくる。 

個人そのものを知って 何かを伝えようとしても 個人から得らえれる 何等かの 断続的な 情報を もとに 個人を表現してしまう。 個人のことを 別の人に伝えるのに 生まれてからの行動や発言をすべて ビデオにとっていてそれを なんの加工もなく 別の人に伝えるのは 不可能だ。 それより 個人の 所属する団体、個人の クレジットカードの使用状況、個人の著作物、ネットでのクリックの履歴 を 拾い上げることのほうが 簡単で かつ 伝えやすい。   また 何かの現象を伝えるのに、言語、映像、数式など で おきかえて 伝えようとする。 これは  人間の持っている元々の能力 だ。 それも 個人によって 現象をつたえる 手段はことなるし、 別の人に伝わった中身もことなる。受け取る 人によってもことなる。

クリックするかしないかは 伝える中身としては 短い。 アンケートの答えでも yes no 以外のことをこたえたい場合も結構多い。  音データでも アナログ、デジタルがあるが、デジタルをどんどん細かくするとアナログに近づく。 アナログは あるかないかわからないうちに いつの間にかなくなっていたりもする。

上座仏教の教えは 全て口伝だ。 バラモン教と似ている。 それも 他言語に置き換えるわけではなく パーリ語のみ。 ほかの言語に置き換えたり 文字や絵にしてしまうと 伝わらないの 思われているのかもしれない。 口伝だと 人がいると伝わる。文字だと 人がいなくても伝わるが 改ざんされる恐れも いっぱいある。

1 件のコメント: