2021年10月28日木曜日

比叡山から多数の宗派が誕生しているのはなぜか

仏教の年表を表示します。

 古い順に

独断と偏見で叱られそうだが 私の想像です。

最澄は比叡山で日本天台を開いた。 一切が菩薩であり、一切が成仏できる。という円教思想。密教の振る舞い。大乗戒。達磨大師の禅。 浄土にジャンプ。 を 中心にすえるのが 日本天台。

それまでの鎮護国家のための仏教から 個人を救済する仏教へと変化していく。

ブッダの仏教は 具足戒、出家 比丘が阿羅漢になるためにひたすら瞑想。食料確保のため托鉢、お礼に説法、在家の悩みを聞く。  そのために ひたすら三昧。セックスはしない、酒はのまない。 

その仏教が 日本天台では 国家を救う、個人を救う に 変化している。

個人の阿羅漢を目指すことが しっかり確立していた仏教。  しかし、比丘の数が足りなくなって具足戒をすて 大乗戒を採用せざるをえなくなった。 そして 最澄は日本天台を作った。円仁が唐へ渡り 具足戒ができる比丘を確保しようとしたが、できなかった。 

 『入唐求法巡礼行記』に その辺の事情が書かれている。

遣唐使派遣はなくなり、それ以後 大乗戒を続けざるを得なくなった。そして 日本独自の仏教が歩み始める。 それまで日本各地にあった中国仏教の中心的信仰の対象である観音 は 古臭くなり 秘仏となっていく。空海の密教の追い打ちをかけ 大日如来や不動明王などに変わっていく。

 集まる僧侶も比丘ではない。ひたすら瞑想に励むわけではない。目的が阿羅漢ではなく、個人を救うこと。 以上のことから 、比叡山を出ざるを得なくなる。 

 法然、親鸞、栄西、道元は 最澄・日本天台の流れをくんでいる。

1 件のコメント: