2022年4月15日金曜日

本 ヤマト王権 吉村武彦著 岩波新書

 仏教の伝来 と 蘇我氏 という章

552年とか538年とか 仏教と神道とか 物部と蘇我の争い など を歴史で習っていたが 何を意味しているのか ちっとも考えていなかった。

 p161 したがって、厳密にいえば氏姓制度が成立していない時期の氏族名称はそれぞれの祖にあたる氏族集団の名として便宜的に使ってきたことになる。

 そうだと思う。 あまりに 日本書紀などの記述に引っ張られすぎだ。

552年とか538年とかは ヤマト王家に仏像や仏典が 朝鮮半島から送られたということに基づいているらしい。  王家や各氏族が朝鮮半島や中国の仏教を信仰したということではない。弥勒菩薩や観音菩薩、薬師如来、阿弥陀仏などなど 美術品を拝んで 神に天候を伺うように仏像に政治を伺っていたのかもしれない。 と 私の想像です。

 サンガや出家、在家 など 社会の2重構造3重構造の小乗仏教とは まったく縁遠い。  朝鮮半島から各地方出身の人々と仏教の関係はどうだったのか 、中国では 巨大な雲崗石窟なども作られている。かなり 仏教が浸透していたと考えたほうが良い。

0 件のコメント:

コメントを投稿