筆者 開発僧の定義に苦しんでいるようだ。
上座仏教の考え方が しっかりわかっていないところに起因している。 開発という社会的な行動をとること自体すでに上座仏教から逸脱し 大乗仏教的になっている。
僧について 慈悲深い、カリスマチック 聖なる人物と
書いた箇所があるが 僧がこうなること自体が 上座仏教の修行者から外れているのだ。カリスマチックと例え思われたとしても サンガでの修行によって 身についたものであって 自慢することはないし 元から備わっていたものではない。人格が問題ではなく 教えの中身が問題なのだ。 それを 筆者は理解していないように 私は思う。
であるから この本は 上座仏教の僧が なぜ大乗仏教的な考え方になるのかと言う 題に変えた方が良いかもしれない。
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