南無不可思議光
この文句で始まる正信偈は子供の頃より町中から きこえてくるものだ。 町の共同体の帰属意識を 高めるおまじないのようなものだった。
意味のわからないことを言うのはいやだった。 仏教の勉強をしてきて やっとこの正信偈の意味を
知ろうと思うようになった。 無量寿如来や不可思議光という結論ありきの 偈 だ。 親鸞がなぜ
そう考えるようになったか 知らなければならない。 一方ダンマパタに書いてあることは真理に
近づく考え方や行動の仕方 教え が 書いてある。決まった結論を信じなさいとは書いていない。
身近な人がなくなったときの儀式には 正信偈は必要だけれど 物質的に満ち足りたこの日本に日常的に
正信偈が必要ではないと思われる。憎しみの連鎖が起きている現在にはダンマパタに書かれている
教えが必要である。 結論ありきの考え方では憎しみの連鎖は切ることが出来ない。
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