2018年11月1日木曜日

秋の日のヴィオロンのため息の

私は 上田敏の 訳を とうとうと読む 先生が 嫌いだった。
英語の古語の詩の朗読も あまり好きではない

宗教改革やルネサンスの原動力となったものに ラテン語文化のギリシャ語文化への接触 ヨーロッパの言葉への聖書の翻訳 修辞学 印刷術が あったと書いてある。その意味でエラスムスの書いたものは 言語で読まないといけない などと いわれている。飾った言い回しが すきになれないし、一人で読むにはハードルが高すぎる。
 一方 仏教には 短い般若心経ですら 呪文のようなものがある。 上座仏教は お経の言い回しが共通語だ。私には全部が呪文だ。文字は 説明文に過ぎない。 やはりハードルが高い。
 イスラームのクルアーンもクルアーン独自のアラビア語だ。やはりハードルが高い。

 アマチュアは偉い先生の書いたものをよむしかない。ビデオも?

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