2018年11月2日金曜日

あらためて 空

日本の哲学のなかで 私 や 生や死 を 論じている。和辻哲郎、中村元のいっていること 無常と無我と空 を 何気なく並べて 同じような 言葉として 使っている。生死の無常感を日本人は 持っているのだ という。

 私はその考えに賛成できない。世の中を観察することによって 無常 いつも同じではない。がわかる。それは 法 因果 があるから である。 こうなったから こうなる。ということがつづく。それが無常。 無我は 私自身がこうなったこうみえているという法で成り立っており
当然 無常。それが無我。
 空はまだわからないが。 色即是空空即是色とあるように 因果の法とは無関係に そく 空に なる という 存在を 仮定したのでは なかろうか 。法を越える何かを認めなければ説明でにないことが あったのでは なかろうか。
 2乗すると-1となる i  は そう考えたらいろんな ことが 説明できる 便利なものだ。それと おなじように 空は そう考えたらいろんな ことが 説明できる 便利なもの ではなかろうか。

 しかし 一方極端に大きい 極端に小さいことを 説明するのに 因果の法則を連続して 考え近似する という ことも ありうる。

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