2019年7月15日月曜日

本 牛頭天王信仰の中世 鈴木耕太郎 著 法蔵館

著者は1981年生まれで立命館大を出ておられる。この本は2019年7月10日初版第一刷発行。 新しい。 近くにはおいてある本屋があるとは思えず amazonで購入。

 まだしっかり読んでないが、今年の祇園祭が終わるまでには読もうと思っている。
祇園祭で 使われる言葉がふんだんに出てくる。 日本の仏教を知るには大切な本だと予測している。
 祇園、祇園社、牛頭天王、スサノヲ、神仏習合、本地垂迹説、観音信仰、日本書紀、蘇民将来、行疫神 など の キーワード
 日本列島に波状的にやってきた人々、やって来た人もいろいろ。観音様も仏さまも、牛頭天王もある。 やって来た人によって 持ってきた 物も違うし、出発地も違ううだろうと予測される。 前に日本列島に住み着いていた人々と交わり方もいろいろだったろう。  幕末に激しい廃仏毀釈、僧侶への攻撃が あった ことを考えると 神仏習合から仏を取り除き スサノヲの神さまだけにし 八坂神社として生き残りをはかったのではないかと想像される。 けれど 祇園の名前は ずっと残っている。 

2019年7月11日木曜日

BluerayDisc かぐや姫の物語 高畑 勲 監督作品

筆で描いたアニメーションを見たかった。それに高畑勲監督が満足されている。見てみた。  昔の物語は教訓や生き方の教えが含んでいることが多い。竹取物語に教訓、教えを 見つけることができなかった。  このアニメを見て 監督自身が ブッダの教えを見せたかったということが ラストシーンでようやく分かった。 仏さまがかぐや姫を迎えに来る。羽衣を着るとかぐや姫は地球での出来事のすべての記憶が消失する。 いかなる愛や恋、物欲、すべての記憶が消失する。なんの因果関係もなく突然に消失し、不連続に地球のかぐや姫から 仏の月世界の姫になってしまうのである。  監督は子供も見るアニメーション映画を意識してか、非情な仏さまの世界にあって かぐや姫の涙を少しだけ描いている。月の世界と地球の世界を 見せつけるには 涙は不要であるが。阿弥陀様の極楽浄土ではない 仏の世界を見せてくれるアニメーション映画だ。

2019年7月9日火曜日

本 仏教と部落差別 柏原祐泉著 人権ブックレット 部落解放研究所

日本仏教の差別的体質 の 章
p6 国家仏教の成立 次いで日本書紀をみると、594年に推古天皇が三宝(仏 法 僧 仏教を意味する)興隆の詔を発布したので、群臣が競って 君親の恩のため に寺を造ったとあります。 p8 以上がだいたい、奈良時代のころまでの仏教の状態です。それは一般に国家仏教といわれているごとく、仏教は国家に奉仕し、天皇の権威を支援するためのもので、民衆に人間の真の救済を教え、精神的な平和や平等を説くものでありませんでした。したがって仏教が律令国家を統摂する天皇の俗権にたより、民衆から離れて権威主義をとることになるのは当然で、日本仏教の差別性の源流は、このような仏教「公伝」以来の国家権力との結びつきに、求めることとができると思われます。

 と 書かれている。 私の考えと異なる。 天皇家が日本に伝わった仏教を統治に利用したように書かれている。 統治者が宗教を利用したことは 同意できる。 むしろ 宗教と政治は一体のもので 区別がなかったと思われる。律令国家になるにしたがってより高度な中国伝来の仏教を利用しようとしたのは当然と思われる。 しかし 推古天皇あるいは聖徳太子が 三宝を仏教と考えた。その 三宝の解釈がインド、中国、日本につわって 意味が 変わってきた。 聖武天皇の時代 孝徳天皇の時代中国から鑑真を招いているが 戒を授けるためである。 僧を増やすため、サンガを作るためと思われるが 結局はサンガが作られず、その後 戒を受けないあるいは 釈迦の教えとは異なる戒をうけた 僧が増えていった。出家と在家の区別もなくなっていった。親鸞聖人の教えは 僧は 結婚もし 子供をつくり 労働も行うものとなった。子供をつくるのは生まれをだいじにする。労働は欲を助長すし、勉強もおろそかになる。 仏も ブッタ一人というわけではなくなった。ブッダも菩薩も神格化され、奇跡を起こすようになった。  法を知ろうとするのが僧の過ごし方であったが 法そのものが 法律という政治に必要な規則と 混同されるようになった。 統治する側からすると 法と法律が 同じだとすると都合がよい。 この著者は 仏教は民衆に人間の真の救済を教え、精神的な平和や平等をとく もの と 書いている。  平和、平等、真の救済 と いう語句を並べている。いかにも 現代の日本国憲法にマッチした、キリスト教精神やフランス革命、現代の民主主義と似た 考えである。これは ブッダが説いた教えを のちの人が 作り変えた教えではなかろうか。

 以上 私は 日本仏教の差別性の源流が 仏教そのものが国家権力と結びついたことによるものとは考えていない。 むしろ日本に伝わり、変遷していった 仏教そのものが 差別性を持つようになったと考える。

2019年7月1日月曜日

本 インドのヒンドゥーとムスリム 中里成章 著

世界史リブレット 山川出版社

現在 イギリスの植民地だったインドは パキスタン バングラデシュ ミヤンマー インド に 分かれている。 植民地の支配を続けるために ヨーロッパ的 イギリス的な文化や教育 政治 を 利用していた。そのために 地域、宗教が 多様性 あいまいさを 失っていった。 と 私はこの本を読んで理解した。しかし 一度読んだだけでは 複雑すぎるインドだ。 タリバンやISが 生まれてくる仕組みを考えるうえで少しは参考になる。 とにかく難しい。