2022年8月10日水曜日

本 「律」に学ぶ生き方の智慧 佐々木閑 新潮選書 性行為について

律の中で 大事な律 が なぜ あるのか の理由 著者 佐々木閑氏が 書いている理由だけでは納得がいかない。

p66 1.僧侶はどのような形であっても性行為を行ってはならない。この規則を破ったものは 波羅夷罪とする。ただし、やむをえぬ状況になり、それを避けることが出来ないと自覚した場合、緊急避難措置として 「私は規則が守れない」と第三者に告げてから行ったら無罪である。

1つ目の理由 なぜ性行為が禁じられるのかというと、インドでは「本物の修行者は性行為をしないものだ」と皆が考えているからである。

2つ目の理由 世の宗教団体やコミューンの中には、家族ぐるみで世俗を離れて自分たちだけで島社会を作り、その中で家族が単位となって、共同生活を送るというスタイルのものがよくあるが、そこに深刻な問題が存在している。すなわち「一般人として普通の価値観で暮らす自由」を子供たちから奪っているという問題である。島社会の中でうまれ、島社会の価値観で育った子供は、それ以外の選択肢を与えられることなく、特定の固定化した物の見方しかできなくなる。いろいろある中から自分で選ぶという基本的な権利を奪われたまま育って洗脳されていけば、組織にとっては都合のよいロボット人間が出来上がる。それは「人に生き甲斐を与えるための組織」とは程遠い、人から生き甲斐選択の自由を奪う偏狭な組織である。仏教は僧侶に性行為を禁じることで、この危険性を回避することが出来た。

一方在家に適応の戒に 不邪淫というものがある。 性行為そのものは 正当なもので不倫はだめだと言っている。 出家者の律になると性行為そのものがいけないということになっている。

1,2の理由だけで 性行為そのものを禁じている理由となるのだろうか 私はもっと 他にも理由があるのではないかと思っている。 性欲と性行為 ならびに 阿羅漢となるための修行には 相反するものが あると 考えられるからではないかと 思っている。 しかし これは なんぼ考えても結論が出ない。わからない。

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