2024年1月18日木曜日

親鸞の 絶対他力について ふと 思った

 絶対他力を思いついた 親鸞 どういう 条件 あるいは どういう 状況に 置かれた人々を おもって 考えついたのか。

末法 何をしても 救われない、武力、暴力が 横行し、簡単に子供など弱い立場のひとが 殺される 状況だった。

その人々をみて 救われるのは 絶対他力しか無いと思ったのではないか。 他人を救うのに暴力を使ってもよいと 考える人は たくさんいたはずだ。 そういう人が複数いると 争いがおき また人が死ぬ。結局は救いとはならない。恨みツラミが残る。そういう状況だった。

だから 絶対他力を思いついたのではないか。

現代は状況が違う。特に日本では簡単に子供が死ぬ訳では無い。政治的な経済的な暴力は存在するが 政治や経済を変えれば 暴力を減らすことができる。 そうかんがえると絶対他力ですくわれるとことに該当するひとは ほとんどいないことになる。

明治期に歎異抄など親鸞後のひとが賛美する ひとが 増えたが それは 絶対他力とは違う。 一部自力であって 救済されるようにみえて 実際はその行動によって 争いが生じ、 ひとが死ぬ。救われるものも救われないのだ。

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